表現と身体
別に「克服した」って言ってるんだから、こんなこと考えなくてもいいんだよね。
『pen』見てて、ハプニング? 身体をフル活用する表現というのか? あれはあれで、表現という作業なんだよね。
あの'60~'70年代の「カンバスと筆からは飛び出さなければならない」とか、映像技術の進歩---動画が保存可能になるとか、逆に、芸術表現の一回性(同じ作業・行程で行ったとしても再現不可能と考えるような思想的背景)のような、そんな空気感の中で、「アイツがこんなことやった」「今度はコイツが、、、」みたいな中で、確立されていく表現だよね。
つまり、何かを考えつくというのは、全く頭の中の作業であって、考えつくだけでよければ、物理的に記号化する必要はない。しかし、表現というのは、誰かに認知されて、はじめて、自分の表現なんだと思う。まあ、IT社会だから、その考えるという行為から表現までの道のりは、しだいに短くなっていくんだわな。
逆に考えればITというか、記録技術(エンピツであり、本、音声、映像、、、)がなければ、表現は自分の身体を使って再現するしかない。ようは、自分の考えをプレゼンしなきゃならないって訳だわな。
やっぱ、自分にとって、身体がポジティブなのか? ネガティブなのか? が大きいのかもしれない。例えば、子供の頃、逆上がりができなかったりすると、なんか、自分の思ったとおりに身体が動くのかスゴク不安だったりする。
でも、結局、身体を使ったプレゼンも表現だからな。。。。