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病理のご都合主義

 なんで「病理」って言葉が好きになったかって言うと、「忘却は病理」というような発言(うろ覚え)を聴いたからだ。いや、聴いてない。読んだんだ。
 やっぱ、「忘却は非常に優れたシステム」なんだよね、いい思い出も薄れちゃうのかもしれないけど、悪い思い出は消える。これは非常に助かる。
 いや、、、何かって言うと、『pen』の表紙を見てさ、ほほえましく思っちゃってさ。
 でも、これって病理とからめて考えると、学術的に興味深い!(『ガリレオ』風)嫌いな相手から「好き」と言われる病理は存在するのだろうか? いや、一般的な話ぢゃないよ、病理の話。やっぱ、好きって言われても「それはないだろう」って思っちゃうのかな? それって、その病理の定義と相反しない?
 あれも不思議な現象だよね。「条件つきで好き」という病理。いや、リアルタイムで知らないからうかつなことは言えないが、「愛する事」の方に病理がひそんでいるのか?
 ある仮説として、前提として「相手を好き」ぢゃないと、病理にならないのではないか? でも、その「好き」の相反として、というか相似の所に「憎悪」がある。「愛」は何かの拍子で「憎悪」に変わる。
 ひょっとして、お前のこと「嫌い」になっちゃっうの、かな? そんな類例を、1例、知ってるぞ。

 恐いよ。すごく。

 でも嫌いになったら「嫌い」という気持ちも自分のものだから、それはそれで自分だもんな、、、自分に嘘はつけない。
 まあ、都合の悪いところを、「病理」って弁別して悪者に仕立て上げること自体、なんかゆがんでるよね。
「特別な人がいるって良いことだと思う。がんばって働いたあとで誰かと一緒に過ごせるのは心地良いものだから」
「他人」と時空をシェアして、「心地良い」って、自分の努力もあるだろうけど、相手の努力をおもんばからないとね。彼のこと感謝して、大切にしろよ。
(精子君の教訓が生かされてないな、、、)