古代の塩づくりと松崎遺跡
東海市立文化センター ホール
古代の塩づくりと松崎遺跡
松崎(まつさき)遺跡は、いわゆる「日下(ひのもと)のクサカ」の発祥の地で、あの時はなに考えてたかって言うと、相反なものを、とんでもない方法を使って相似なものにしてしまおう! という、ちょっとお茶目な企画であった。(どの位の知名度があるんだろ?)
それが『白瑠璃の碗』の出だしのキーポイントになるんだから、無意味? なこともしてみるもんだ。
結局、消費遺跡とされる梅坪や伊場で流通は終わりではなくて、美濃みたいに、そこで何らかの形で再精製されて、信濃や東海道の国々や、奥美濃、飛騨?(ぶり塩って塩も富山だっけ?)へ、流通されてく中継地とみないと、なんか見誤る気がする。逆に、なぜ中継地で再精製が必要なのかは疑問だ。湿気るのか?
そういう、広域流通考えたら下津高戸は意味合いが少し違うが、やはり国衙近辺(大国府)まで運ばれている事を考えれば、国衙の掌握する中で塩が管理されたのだろう。
逆に下津高戸に限定して言えば、「再結晶」のような精製方法も考えていいのかもしれない。(証明はお任せだから、言いたい放題だな)
結局、『白瑠璃の碗』の収穫よりも、国衙論の収穫が大きかった。
いいんだ。それはそれで優越感だし、自分の中でも「日下のクサカ」が「トンデモではない」って言い切れないし。。。