過去の話
たまたま、斎宮のハイビジョンのメインキングのあたりを見てて、ああ、歴史系でも十分、コンセプトがあえば上映可能なんだろうなと思う。時代考証とか云々ではなくて、もっと「斎王みたいな内親王的な高貴な女性が、往生をして天上からクモの糸を垂らしている」くらいのニアミスでも、初期であれば話題性でいけるのではないだろうか? 「現代において〈太閤神話〉はこのように再生産されている」でもいい訳だし。
まあ、そんなこと言ってても、美術館の映像資料とビデオクリップでは、『クインテット』と『ハッチポッチ』くらいの質の違いがあると、言われても仕方がないわけだし、でも、その質の違いという認識の側に、これからの美術の潮流を牽引する何かがひそんでいるわけで、映画や美術品から、音楽映像がインスパイアされたように、逆輸入もこれからは可能なのかもしれない。逆に、逆輸入を可能にするぐらいのモチベーションがなければ、音楽映像に未来はないわけで、そのアポトーシスを見るのはたまらなく恍惚を僕に与えてくれるであろう。
結局、僕が何をやろうとしているのか、わかるだろうか?(もう8割方、ネタバレという話もある)
それをやる前に過去を概観すべきか?
「Can You Keep A Secret?」~「You Make Me Want To Be A Man」までの作品群と『月に沈む』を挙げておけばよいのか?
00年代の歌謡界で〈時代と寝た女〉は2人しかいない。(たぶん、僕が、そうだといいきれば、そういうことなのだ!)その作品群をおいて、他に何を挙げるべきか? まあ、前者が「母性」とか「自己複製」のようなテーマを扱っているのに対して、後者ではイコノロジーによるモティーフの解釈学に明け暮れているのが、それぞれの特徴だ。
まあ、美術館に飾るとすれば「Free & Easy」のような詞というより散文的な歌詞をオーケストラミックスしたような編曲の曲に、「SAKURA ドロップス」のような映像をつけるのか?
光琳の「紅白梅図屏風」がいいよね。ものすごく手前にある若い紅梅と、ずーっと奥にある白梅の老木。正面のある位置から見ると、それは整然とした「紅白梅図屏風」なんだけど、一歩視点を変えると、空中を浮遊するそれぞれのモティーフにしかすぎない。背景と思われていた金箔も、遠近法によって様々な大きさの金箔が浮遊しているにすぎない。その真ん中・中央に、こうこうと流れる川がある。こんなイメーヂ。
「彼の作品と、僕の作品だったら、若沖と光琳くらい違う。ああ、自分を光琳というのはおかしいか? 琳派。琳派の末席くらい違う。それは、彼が若沖的な作風だと言うのではなくて、作品の距離感。ある人が見れば、それは「日本画」というくくりで、同じなのかもしれない。でも、そこには、確実に作風の差異があるわけで、でも、それは横柄だけど、解る人にだけ判ってもらいたい」
いってみて~~え! こんなこと素面では、たぶん言えませんが、、、