媒体としての氏
耳が悪いのか滑舌が悪いのか、最近歌詞が聞き取りづらくてね。「きめられたルール」とか「きれいな足跡」とかの「た」の後の「ル」とか「き」の後の「れ」とかが「ら」に聞こえる。口を大きく開けた後の、少しすぼめる音なんだよね。歯のかみ合わせがうまいこといってないのかな?
「Last Links」
本当に この星に〈愛〉は残っているの?
だけど 続けないといけないんだね
「Don't look back」
どうして、今が1番ぢゃないの?
どうして、過去はあんなに、まぶしいの?
でも、どうして、進むべき道は決まっているの?
なんか、こう並べると相似に見えるでしょ。氏の映像表現の中で、媒体としての〈浜崎あゆみ〉に対して、傷つけるような行為が目立つんだけど「Don't look back」は、さすがに飽きたという感じ。
極初期から〈あゆ〉と〈浜崎あゆみ〉がいて、、、という話は、氏の話の枕なんだけど、結局、媒体としての存在と、個人的な存在が乖離しているという状態を演出したかったんだなと今は思う。
まあ、ツイッターって媒体が氏の思考スピードに適しているのか?(普通、10万人の話はいっぺんに聞けない)という問題はあるが、その受け答えは、凡庸そのものだ。これも「普通です」を強調する商法なのかもしれないが、それ以上の凡庸さを感じるのは筆者だけだろうか?