尾張国府
「府中府宮」と「国府宮」で全然指すモノが違うと言うことになるのに、みんな、その場の勢いで納得させられてしまったのだろうか?
後期国衙という現象が、少なくとも尾張にはあるわけだから、まあ、学術用語と実際の歴史的な言葉使いに相関関係を求めるのが、どだい無理な話かもしれないんだけどね。
「国府」の定義にしても、逆に無限に拡大解釈ができてしまって「大国府」でも尾張一国でも「国府」と呼べなくはないのでは? あえて、そこに含みを持たせたかったのか?
まあ、話し言葉だからなのだろうが「初期」「前期」「国府」「国衙」の併用が目立たなかったか? 8世紀段階の国府を「初期」と呼ぶのであれば「前期」との意味の違いを明確にして欲しい。(って、これは小子部サヒチ時代を初期国衙と呼ぶから、僕しか気にならないのかもしれないが、、、)
以上、気になったところを箇条書き。余談は後日。
勤労福祉会館 多目的ホール
尾張国府を学ぶ講演会
20100529(土) 午後1時30分~3時