ネットの不可能性
そうか、半年後には、名実共に浜崎氏が歌姫の頂点に立つんだな。そう考えるとワクワクする。
まあ、某氏のコメントを待ってウチのコメントを考えてもいいんだけど、まあ、いいや。
僕の考えは生史君に近くて「表現者が表現を(一時的に)捨てるということが理解できない」なんだろう。でも、なんか〈自己優勢性〉なんだろうな、生史君に「彼女は君の持ち物ではないのだから」と野暮ったいことを言いたくなる。そんなこと百も承知なんだろうけど。
なんていうの何らかの活動をして対価を得るという行為が「社会と関わりを持つこと」という意見もあるだろうし、逆に、それは洗脳的なステレオタイプなのかもしれないし、、、
まあ、ネット上でできることって限られてるからね。
最後の最後は現実的・物理的に直接アクセスできる人しか救ってあげられないこともあるから。例えば某氏が粛清されたといっても「言論上の脅威だ!」とは言えても、実際問題、ウチは某氏の全てを引きうける訳にはいかないから、リアルが、そう決めたことだから受け入れるしかないわけで、、、
まあ逆に、そういうリアルな不可能性が嫌で、全てを〈媒体化〉してしまうことも可能だったハズで、、、話ズレてない?
話もとに戻すと、宇多田氏の休業というのは、生活権の保全という側面と原状回復費の使い込みというパラドクスが存在しないか?
それと新曲に対してレ○倫や著○権協会がOK出すかな? たぶん神曲「MOON」は告発前だよね。
まあ、音楽の歴史考えたら「放送禁止」というのは音楽のつくり手ではなくてマスメディアの方が判断を行ってきた訳だし、今回も、そっちで流れてるのカナ? まあ、ウチはウチとして存在するワケだし。。。
休業の言い訳なんて、たいてい後付けでさ、もっと別の次元で自分の中で歯車がかみあって「やめた!」になるんだけど、少し、その言い訳について。
人間の不完全性って将来の拡張への担保だから全否定って可能性をうばうことだと思う。別に真円になりたいと言っている訳ではないのかもしれないけど、、、「傷つけちゃった」「まだ継続中なんだよね」も含めて、人格であったり、その人らしさなのでは? 別に、そんなことは言ってないか。