集落に住めない人々
いかん。どうも枕にひっかかってしまった。
内裏の女房に代表されるように、宮という官衙に住まう人間というのは少なからずいるわけで、まあ、その人たちには集落遺跡に「実家」がある。と言われれば、そうなのかもしれないが、、、
寺院なんかにも、もちん僧坊はあるわけだし、例えば堀内花ノ木遺跡で寺の南端の南にある竪穴建物群。「集落遺跡が、ここまで近接している」という意見もありそうだが、善光寺の参詣曼荼羅(だったか?)なんか見ると、どうも、病人とか貧民とか「公からの救いを求める人」というのが立ち現れてこないか? まあ、こういう人にも「実家」はありそうだが〈公〉との結びつきを考えたら、実家との結びつきは稀薄だったといわざるをえない。
まあ、こういうイレギュラーをあげつらうと「網野史学に偏りすぎ」という、そしりも、まのがれないのだろうが、寺院や官衙の役割と、そこに定住する職員や利益享受者。官衙にだって修理(しゅり)的な機関も存在しただろうし、そこの職能民は、かよいだったのか? 官衙内に定住していたのか? 国司の居館は官衙と認知されるのか? 首長集落と認知されるのか? その辺の、細やかな細分類があって、弁別されるべき「集落遺跡」が存在するような気がする。
散布地から「官衙・寺院」とは認められない遺跡を「集落遺跡」として集合論的に必要十分なのだろうか?