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大須観音展(8)

大須観音展を見るうえで事前に押さえておきたい用語集

・音声ガイドは非常にコンパクトに要点だけを伝えている。もっと内容を足すこともできるが、複数の人物名・書名などが登場して、煩雑になるのかもしれない。
・子供むけのキャプションが、かわいいイラスト入りで、簡潔に要点がまとめられている。まとめて、子供むけ(簡易版)の図録になっている。図録とのセット販売もあるので注目!

【聖教(しょうぎょう)】
 聖教は寺院に所蔵される典籍類をいう。おおまかには仏教関連の内典(ないてん)と呼ばれる典籍と、それ以外の外典(げてん)にわけられる。

【血脈(けちみゃく)】
 ある僧が誰から〈法〉を授かったかの系譜。大日如来あるいは釈迦如来を頂点として系図としてまとめられる。中世には真言宗といっても、さまざまな系譜があり、血脈を追うことで、僧同士のネットワークが垣間見える。
 キャプションの「大須観音真福寺法系図」を参照のこと。有名どころの僧と地域で活躍した僧の名前が頭に入ってくると、ぞくぞくする。

【印信(いんじん)】
〈法〉を受け継ぐ時に、現代のように勉強しただけでは完全に伝えられたと考えず、灌頂(かんじょう)と呼ばれるイニシエーションを必要とした。その時の契約書類が印信である。
 印信にある祐禅(ゆうぜん:人名)・信瑜(しんゆ:人名)の花押(かおう)と呼ばれるサインは、いわゆる明朝体と呼ばれる花押のひながたのよう。上下に横に2本線を引き、その間を埋めるような感じ。
『愛知県史 中世1』一五二一では信瑜、祐禅の花押は、紹介されている能信の花押に近い。

【東大寺衆徒参詣伊勢大神宮記(とうだいじ・しゅうと・さんけい・いせ・だいじんぐう・き)】
 源平の争乱の中で東大寺が焼け落ちる(いわゆる「かまくらクライシス」)。東大寺の僧たちは再建を祈願しに伊勢神宮へ向かう。その時の記録。重源(ちょうげん:人名)や貞慶(じょうけい:人名)に関する記録(伝説が記載されているという説もある)もある。当時、なぜ仏教の僧が神道の神社に参詣したかは「かまくらクライシス」に詳しい。

【麗気記(れいきき)】
 中世の神道では『日本書紀』とならんで重んじられた典籍。
 一般に両部神道(りょうぶしんとう)と呼ばれる、神道の事がらを仏教とくに密教の教義を使って説明したものに分類される。
 なぜ神道の書物が仏教の寺院に残されたかというと、神道も灌頂の対象になっていたから。伊勢神宮などの神道の施設で、どのような知的体系で神道書が伝えられたかは疑問が多い。春瑜(しゅんゆ:人名)など伊勢神宮系の僧の名前も登場する。

【類聚神祇本源(るいじゅう・じんぎ・ほんげん)】
 度会家行の著作。抄出(しょうしゅつ)と呼ばれる以前に著された典籍からの抜き書きを中心に、記紀・伊勢神道・両部神道・漢籍・仏典を綜合的にとりあつかっている。
 まあ、書物なので博物館の限られた展示室での見開きだけでは全体像はつかめないが、絵入りの典籍については意識的に絵の部分がクローズアップされているので、初心者には、とっつきやすいつくりになっているのかも?

【遊仙窟(ゆうせんくつ)】
 桃源郷に遊ぶ男の物語。中国で作られたが、中国では失われ現存していない。大須文庫の貴重さとともに、日本人の物持ちの良さという視点でも注目を集めている。
 奈良時代の『萬葉集』に『遊仙窟』に取材した和歌が残されている。

【尾張国郡司百姓等解文(おわりこく・ぐんじ・ひゃくしょう・ら・の・げぶみ)】
 文末には「尾張国解文」とある。解文は下から上へあげる公文書のこと。当時の国司・藤原元命の悪政を尾張国内の郡司・百姓たちが訴えた体をとるが、作者には諸説ある。まあ、日本史の教科書にも詳しいよね。

【空也誄(こうやるい)】
 空也(くうや:人名)の伝記。尾張国分寺での剃髪の記事があるが、個人的には「尾張国〻□寺(カ)」くらいにしか読めない。

【紙背文書(しはいもんじょ)】
 裏紙に文章を書いて製本した場合、以前に書いた文章は本の内面に隠れてしまう。また、文書の修理の折に文字の書かれた紙を補強のための当て紙にする場合もある。
 後の時代の修理の時に、そのような裏側に書かれた文書が発見される場合がある。

【覚禅鈔(かくぜんしょう)】
 密教の修法(しゅほう)とよばれる儀式別に図像を集めた図像集。稲沢市長野・萬徳寺に禅海の書写した『覚禅鈔』が残る。一説には覚禅に仮託され著されたものと見る向きもあるが自筆本が展示されていた。別名、百巻鈔(ひゃっかんしょう)と呼ばれるが、実際、何巻あるのかは不明なところが多い。

名古屋市博物館
特別展 古事記1300年
大須観音展
2012.1201〜2013.0114