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『日本の放浪芸』について考えるのココロだ!

 そうか『日本の放浪芸』に、たどり着くために、そんな紆余曲折を経ていたのか・・・
 まず、話は永六輔氏の『南無阿弥陀仏』から話は始まる。
『南無阿弥陀仏』に小沢昭一が解説を書かれていて(p176)、そこからダイレクトに『日本の放浪芸』にたどり着くのではなく、関山和夫氏『説教と話芸』という本が紹介されている。恥ずかしながら、この時、初めて関山氏を知るのだが、当時、手頃な入門書がないかと探して手に取ったのが『庶民芸能と仏教』であった。
 まあ「手に取る」と言ってもも、当時すでにネット書店の全盛期で、僕の場合はヤマト運輸のやっていた『クロネコブック』から、『Amazon』への移行期間というか、絶版系の本を両方で頼んでみるとか、けっこう嫌な客をやっていた。(ときどき入手できたりするんだよな)
 あと蛇足だが、個人的に故人は敬称略。ある人が参考文献リストで〇〇氏と表記しているのを見て、基本的には個人名には敬称を付けようというスタンス。でも故人に織田信長氏というのはなんか変でしょ? 歴史上の人物だし。そこで、もう大胆に故人には敬称略でいこう立場になりました。

 えっと、なんの話してたんだっけ? そう『庶民芸能と話芸』のなかで小沢昭一の「『日本の放浪芸』始末書」が引用(p84)されていて、ここでようやく『日本の放浪芸』の、すごさというか、存在を知ることになる。(あくまで記憶に基づいて書いているのではなく、図書購入履歴や付せんから導かれる、最も合理的な道筋を示しているにすぎないんだけど…)ちなみに「『日本の放浪芸』始末書」の引用箇所は岩波文庫版のp391。

 小沢昭一の訃報記事のなかで「民衆芸能研究家」という肩書きが附されていたが、個人的には厳密ではないと思う。放浪芸の研究者という方が適切なのではないかと思う。
 そのことに関連して『日本の放浪芸』から、対応箇所を拾えば、
「私の関心は一点、職業芸−−金に換える芸、ないしは芸を金に換えるくらしについて」(p364)
 と言及している。
〈芸〉を金に換えること、つまり衣食住に関わらない所作が〈芸〉であり、その〈芸〉が衣食住を支える金銭に変換される。このシステムが知的生命体として人間が知的営為をおこなって生きていることに直結しているのではないだろうか?
 小沢昭一の放浪芸以外の研究を含めても「人間とは何か?」「人間としての〈楽しみ〉とは?」ということを追求された方なのではないだろうか?

 5年ほど前に明治村で小沢氏の講演が催されたことがあったのだが、都合がつかずに行けなかった。桜を見たと言うより、見れなかったに風情があるとはいうけれども、とても残念なことのように思う。

 まだ小沢昭一と呼び捨てにすることに抵抗があるのは、実感がわいてないんだろうな。

ものがたり芸能と社会
 こっちは放送大学での講義をもとにした、もう少し概論的な話らしい。