遺跡命名のカタルシス
まあ、こういうことを書くと良識を疑われるのかもしれないが、命名にはカタルシスがあるわけで、それは人間の子供でも、遺跡でも同じこと。
まあ、遺跡の場合、遺跡名は様式を規定し時代を画する可能性を含んでいる。(まあ、人間でもネームリアクションみたいなものはあるわな)
須ヶ谷の地域名は「すかたに」が適当ではないかという旨は以前指摘した。しかし、遺跡名は「すがたに」遺跡である。こういうのみると、やっぱ命名者のカタルシスを思わざるにはいられない。
まあ、地域名「はさま」の所に「はざま」遺跡があっても別にかまわないわな。紛らわしいと言うだけで。名前というのは、あくまで記号だから、その記号の下で集積された情報の方に実は重要な意味がある。だから、ネットでハンドルネームで会話していても、情報が積み重なっていけば、ハンドルネームの下に人格が宿る。逆になりすましは犯罪扱いされるというのも、そういう理由からだ。
結局、遺跡の命名も記号を割り振るだけの話だから、別に命名者のセンスが反映されるものだと思う。まあセンスというか本人にとっての口なじみの良さも大きく関わるんだろうな。それが妥当であるかどうかは、その記号が継承されるかどうか? なのだろう。
まあ、地域住民とか、学史的な観点から言ったら、みっともないのかもしれないが、、、それは当事者ではないから知らない。