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2題

 7月号の『美術手帖』は買いだと思う。
http://www.amazon.co.jp/dp/B003ODB7DE/
 まあ、なんで買いかは置くとして、なんていうの、美術でも歴史でも1種の〈表現〉で、現地の人というか、普段見慣れた風景が〈表現〉の〈場〉になった時に、違和を訴える人は、少なからずいるのだろうし、それは、もうアセスメント以上に、相互理解しかあり得ないのではないか?
〈表現〉として「常識の破壊」というセオリーが新しいのかどうかは置くとしても、一方で「当たり前にしちゃダメなことでしょ!」という、強い主張は存在するわけで、はたしてK育C語に対する、いたずらを防ぐような法律で取り締まることが、本当に常識的なのだろうか?
 まあ、サオちゃんがカワイかったから買っただけなんだけど、、、
 ツイッター関係で、いい資料が挙がってきてるみたいだけど、某氏が「音楽倫理はウチのシマだ!」という主張もあるので、詳細は某氏にゆずりたい。

三重県立美術館
川喜田半泥子のすべて
 慾袋という作品の絵はがきを見た時に「なんかスゴい!」と思ったの。焼き物の水差しなんだけど、脇下が破れてて、かけつぎというか、補修してあって、青海波があしらってあるの。その全体の雰囲気も味があるんだけど、水差しという器種が破れてるということが、あくことのない欲望の象徴にも思えて、妙に言い当ててるの。実物が見れた。
 数年前に『伊勢人』でも特集してて、魯山人と同じくらいの時代になるのかな? 数寄者なのかな?
 焼き物も書も絵も自分で、できちゃう人で、ウイットに富んでいる。掛け軸で「お前百まで、わしゃ、いつまでも」と言うのが印象に残った。
「いつまでも」って〈記号化〉だよね。茶碗や作品はいつまでも残ると言うような、、、今は、ブログだって乱立してるから〈記号化〉しても何も残らないのかも、、、

愛知県美術館(栄)
田原市博物館の名品による
渡辺崋山展
併催:和魂洋眼(所蔵作品展)
「和魂洋眼」というと、いかにも崋山がらみな感じだけど、ようは「あいちトリエンナーレ以前」というか、現代美術までのアートの歴史のレビューといった感じ。
 僕だったら、「これまで。~日本画・洋画からポップアートまで~あいちトリエンナーレ記念」みたいなタイトルにするかな。
 渡辺崋山展は、それだけで十分充実した内容なんだもんね。「不忠不孝」も見れたし。

三重県立美術館
川喜田半泥子のすべて
20100608~0725

愛知県美術館(栄)
田原市博物館の名品による
渡辺崋山展
併催:和魂洋眼(所蔵作品展)
20100604~0711