4題
京都国立博物館
特別展観
没後200年記念 上田秋成
『まんがで読む古典』の最後のきらめきが『雨月物語』(『源氏』の方が後だったか?)で、僕の中で「現代的感覚で中世を読みすぎではないか?」という批判はあるんだろうけど、あの番組がなければ、記紀も含めて古典を身近に感じられなかった訳で、今でもクレヨン社のCDとか探しちゃうのも、、、つまり、有機的に僕を形づくる、一部分に上田秋成は、存在していて、、、(展観の説明になってない)
ようは、上田秋成のいた上方を中心にした〈知〉のネットワーク、それを、すかして俯瞰する上田秋成と言った感じ。
研究の成果報告のカタチで東之宮の鏡がでてた。そうか! 線違鋸歯文の系譜。いにしえ、三河の広い地域が「額田」と呼ばれたこと、もっと朝日の鋳物師にも目を向けるべきかも知れないが、中央と地方という考え方で、必ずしも技術は中央に集中していた訳ではない、いや、東海にも技術の中心を想定できるのではないか? それは三遠式銅鐸に始まり、壬申の乱でオオアマの経済的基盤になるような『白瑠璃の碗』の表というか、この手の話は、専門家が2〜3人いるから、丸投げしておいても話進んでくもんね。
京都文化博物館
2010年NHK大河ドラマ特別展
龍馬伝
福山氏効果か最終日だからか、すごい人。展示見れない。音声ガイドだけ聞いてきた。
なんていうの、龍馬の登場を山内一豊のミームとして考察してみたいんだけど『龍馬伝』の容堂って、なんか? まあ、藩主が一豊のミームに無自覚とか反発的でも〈構造〉というか、藩があって、その中から生まれてくる人物の思想・信条って、国づくりを行った人物の思想的ミームに支配されてたら面白いなと、最近思ってて、、、
京都国際マンガミージアム
京都駅前で、こんな施設があると知って論客としては視察しておかなければ! と行ってみる。
まず、コスプレの女の子たちに圧倒されてしまった、まあ、個人的な趣味だが、倒錯したものが好きで、はるな愛氏はコスプレではないが、どっかで両性具有的な儚さがあるんだよね。なんか、女の子が男の子に扮してるのを見て「きゅん」となってしまった。
まあ、コスプレの子もいるけど、コスプレしてない人は、みんなマンガ読んでるの。官民学のマンガ喫茶なんだよね。マンガの殿堂がなんでボツったのか詳しくは調べてないけど、そこには、老若男女のマンガを共通言語にした交流の場というのを想定できるんだよね。やっぱ、「マンガは低俗」と思われているからダメだったのかな? 政党間のメンツの問題とか低俗な理由ではないよね。当たり前か!
美術館「えき」KYOTO(京都駅ビル7階)
片岡鶴太郎展
改めて『ひょうきん族』以後を考えちゃうよね。絵が上手いとか以前の問題として。
〈お笑い〉というジャンルの中で登りつめていく、という一派は確かにメジャーとしてあるんだけど、それだけぢゃないんだよね。
自分の〈表現〉というのを突き詰めていくと言うとメジャーの人たちも同じなのか?
逆に、今のバラエティー番組の中で、そのバリエーションがどの程度あるんだろう? それは今の〈お笑い〉さんが無芸というのではなくて、それだけ〈お笑い〉が専門職化していて、だけど『ひょうきん族』に代表される当時の〈お笑い〉には、デカダンというか退廃というか虚無感が表裏一体にあって、酒場で敵役が酒を飲むような。〈鬱〉的な、精神的に落ちた状態が表現されていて、今でも、AVのストーリー展開や、捨てカット、エロ小説の無意味なボキャブラリーや、小説家として食いあぐねた感じに、そのトレースは残るんだけど、テレビ番組にしてみれば〈躁〉の文化だし、マジメに〈鬱の美〉的な退廃感に目を向ける人も居ないんだろうな。。。
京都国立博物館
特別展観
没後200年記念 上田秋成
特集陳列
新収品展
100717~0829
京都文化博物館
2010年NHK大河ドラマ特別展
龍馬伝
20100619~0719
京都国際マンガミュージアム
http://www.kyotomm.jp/
美術館「えき」KYOTO(京都駅ビル7階)
画業15周年記念
片岡鶴太郎展
20100715〜0808
重箱のスミ
『上田秋成』 アートアンドパート プログラム附
*本館約半分で30分強のガイドは盛りだくさん。
*まあ、上田秋成自体知る人ぞ知るなんだけど呉春の知名度というか、どう説明するか? 蕪村と応挙の間で、、、『美の巨人たち』で見てて、それが役にたった。
『龍馬伝』A&Dオーディオガイド 作品リスト附
*人混みの中で聞く場所を探すのに苦労した。連番で、どこまで聞けるか? 次の展示に邪魔にならないコーナーとか。。。
*まあ、巡回展なので、どの程度可能かわからないが、第1会場から第2会場への移動「第1会場での音声ガイドは以上です。下の3階が第2会場になります」的な誘導も可能ではないか?