代表戦について
まあ、いまさら代表戦でもないんだけど、マスメディアで争点として取り上げられなかったが「音楽倫理上の利権の取り扱い」というのは、見逃しがたい争点であった。
まあ、どのみち、この手の話は享受者の認知の問題だから、ないものはないという人には何も見えないことになる。
候補者は、方や、どんだけ情報が秘匿されていても国民が正確な判断を下すはずだから、国民の多くがミュージシャンを支持する現段階で音楽倫理上の問題は存在しないと言わざるを得ない。方や、国民の1%未満であろうとも、陳情が挙がっている以上、その問題は検討されるべき。だいたい、それぞれの立ち位置はこんな所ではないだろうか? まあ、どちらがどちらの言い分かは、明確にするのはよそう。
結局、結果として(僕の思惑として)いい方向に転んだのではないか? 国民全体にとって、それが幸福な結論であったかは、国民の1人1人が判断すればいいことで、僕は知らない。だから、僕1人の結論は、いい方向に転んだのである。
例えて言えば、最小不孝と対に無限幸福という社会構造が存在して、無限幸福社会では、公共の福祉のに反しない限り、どんな人が、どのような思想信条を持っても幸福を得る権利があると考える。
しかし、最小不孝は、誰かが不孝のセクションを担う必要がある。ある種の思想信条を持って、それが、国民の総意としての感情に反すれば、すなはち、その人は不孝確定である。これは、非常に判りやすい。
僕も、最小不孝社会には期待したい。思想信条をコントロールすればいいだけの話だから、みなん幸福になるチャンスがある。
まあ、音楽倫理については、当事者の立場から、どうも戦略的な思想を持って取り組まれているようである。当事者ではない僕が、もう、あまり、どうのこうの言うのも失礼に思えてきたぞ。
生史君については、もう、痴情のもつれだね。「さよなら」って言葉を知らない女の子に「「さよなら」って言ってないぢゃん!」と腹を立てたって、ボキャブラリーにないのだから仕方ないのでは? と野暮なことを、また言ってしまった。