22-2 国の寺の登場 〜尾張国分寺


「国分寺はずっと昔稲島にあった。天平5年の洪水の時、矢合にうつった」と伝説にあるように、ある時、東畑廃寺から尾張国分寺へ瓦が運ばれます。
 それ以前にも尾張国分寺には奈良県・大安寺の瓦と同じ型の瓦など独自の瓦がありましたが、東畑廃寺の瓦が運ばれることにより、尾張国分寺で一番多く発見される模様の瓦が使われるようになります。

*このようなことがあったかどうかは、考古学的に一瞬でおこなわれてしまっているため確かめようがありません。
 あくまで解釈としての可能性の一つとしておきます。
 尾張国分寺を完成させるのに急いでいたためいろいろな瓦をいっぺんに使ったのだとする意見もあります。

20 律令の時代
  21 須恵器の変化
  22 国の寺の登場
   1 東畑廃寺
   2 尾張国分寺
  23 尾張国府跡
  24 匡衡と赤染衛門

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歴史に対する私観ですので正確なところは学術書でご確認ください。
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