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2007年03月31日

即位の結印

後三条院の治暦4年(1068)7月21日の即位の時、成尊法印〈仁海僧正の弟子〉が主上に授け申し上げた。すなわち、高御座についた時、結印をさせたまう由を匡房卿が見、これを記した。
『即位灌頂印明由来事』『外法と愛法の中世』p267

 なんとなく匡房とあったから抜き書き。

東寺方即位法

この摂録の太神の秘法というのは吒天の法である。ご即位の時は「四海領掌の法」という。この法を受けなかったなら、王位が軽いので四海を持つことができない。
『天照太神口決』『外法と愛法の中世』p275  即位法は四海領掌法とも呼ばれ、吒天法であるという。

開祖という集合名詞

実際に活躍したのは成尊、範俊、義範といった弟子たちであるが、いずれも仁海という山脈の前には微細な存在感しかない。小野流といえば直ちに仁海が想起されるような時代にあっては、弟子たちの人格は仁海一人に統合されていく現象が起こるわけである。(中略)これまでの論述をまとめるならば、『渓嵐拾葉集』説話に登場する仁海は、必ずしも仁海その人を指すのではなく、院政期に活躍した小野流僧の総体を表す一種の集合名詞であった、
『外法と愛法の中世』p265  ある集団の活躍が、その集団の祖となる人に集約されていく。このように一般化してしまうのは危険なのかもしれないが、多かれ少なかれ、あるような気が、、、

偽書の生成の1ファクターだよね。たぶん、、、

即位灌頂法

「四、愛染法と吒枳尼天法」『外法と愛法の中世』p266〜

2007年03月28日

東寺即位法

阿部泰郎氏「『入鹿』の成立」『芸能史研究 69号』1980.4
松本郁代氏『中世王権と即位灌頂』森話社 2005

2007年03月27日

夢の続き

 夢にはおおよそ3種類考えられる。

(1) 海馬の反芻(実体験の記憶の夢)
(2) 心理・深層心理の夢
(3) スピリチュアルな夢(認知の領域として)

 あるいは、もっと細分、別項がたてられるのかもしれない。ただ、今必要がない。

〈中世日本紀〉

伊藤正義氏「中世日本紀の輪郭」『文学1972.10』岩波書店

宝珠説話

阿部泰郎氏「『大織冠』の成立」『幸若舞曲研究 第4巻』 三弥井書店 1986

慈童

伊藤正義氏「慈童説話考」『国語国文 555号』 1980.11
阿部泰郎氏「慈童説話の形成−−天台即位法の成立をめぐりて」『国語国文 600号・601号』 1984.8/9
阿部泰郎氏「慈童説話と児」『観世1985.10/11』

2007年03月24日

今夜3(仮)

昨日の出来事(ニュース)
風俗情報
ラウンジ(特集コーナー)

2007年03月20日

境界譚

深沢徹氏「羅城門の鬼、朱雀門の鬼」『プール学院短期大学紀要 二三号』1984
小松和彦氏・内藤正敏氏『鬼がつくった国・日本』光文社1985
『外法と愛法の中世』p155
「宇治の宝蔵」のp149、p151あたりにも言及あり。

2007年03月15日

海幸山幸

『三宝絵』巻上・四「精進波羅蜜」は、『大唐西域記』『六度集経』に出典を持つ説話で、飢えた民に施しをするため、王子の大施太子が富貴を生み出す如意宝珠を求めて竜王の宮殿へ旅立つ、という説話である。いうまでもなく、皇孫の誕生前史を語る重要な『記紀』の逸話(いわゆる「海幸山幸」と呼ばれる話)に酷似している。

『外法と愛法の中世』p91
「海幸山幸」の類話として備忘録。

2007年03月14日

玉女の夢

夢が現実外の自己実現とすれば、各々思想の異なる三者が夢中に見聞した女性像の類似は、鎌倉時代の仏教者の女性理解が具現化されたものであると見ることができる。夢は個別性を持つと同時に、当時のいわば集合意識の片鱗を垣間見せてくれるものでもあるからである。

『外法と愛法の中世』p87
 少し意見が異なる。人間が生殖を行う生物である以上、男性なら多かれ少なかれ、そのような夢を見るのではないだろうか?

2007年03月13日

王権への結縁

 どうやら、第六天魔王譚にも、
 在地系縁起「伊勢太神宮縁起 第六天」と仮称される伊勢神宮の縁起としてのものと、
神爾の縁起譚のように王権を支える役目をする「王権神話(仮) 第六天」と仮称されるようなものが〈中世日本紀〉という同じ位相でくくられていないだろうか?

 同じ説話内容を持つ事によって結縁(リンク)のような、、、

2007年03月12日

第六天魔王

第五 日本国の事
二神ともに夫婦になり1女3男をお産みになり、国のあるじになさろうとすると、
第六天の魔王が、この国を打ち破ろうとしたので、
太神は魔王の心をなだめかね、おん妹の渡津神のひめという形よくいらっしゃるのを魔王にあたえて、
「国が定まったといっても、全く仏法を流布させない」として心をおとりになった時、
日本国を天照太神に奉りになった。
譲状を神爾という。今の内裏の重宝である。

『古今和歌集灌頂口伝』『中世古今集注釈書解題 第五巻』
 田中貴子氏 『外法と愛法の中世』 平凡社ライブラリー p66
 二神はイザナギ・イザナミであろう。

 1女3男は天照太神、ヒルコ、スサノウ、月読であろうか。二神は太神を主にしようとする。
 そこへ第六天の魔王の登場。この国を打破しにやってくる。
 天照太神は魔王の心をなだめかね、容姿端麗な妹の「渡津神のひめ」を魔王にあたえ、
 太神は「日本国が定まったとしても仏法を流布させない」と誓いをたてる。
 かくして、魔王は日本国を天照太神にゆずった。
 譲状を神爾といい、今の内裏の重宝である。

 内裏の神事の縁起譚である。
 田中氏は「渡津神のひめ」を龍女に通じるものと考えている。
 天照太神を蛇(龍)として感得する例として「津市・観音寺大宝院縁起」が思い出される。

2007年03月06日

〈未来記〉は日本紀

『〈未来記〉を読む』の後半に散見される「〈未来記〉は日本紀」というフレーズ。
〈未来記〉は未来記というのも頭かたそうだけどありのような。
国史のことを〈日本紀〉と呼び、〈日本紀〉としてとらえる時代性、感性。
「日本紀曰く」の〈中世日本紀〉とは、ニュアンスが少し違うような、、、