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2007年04月30日

後戸

そこで、不動明王にとっての後ろ戸の神、背後の神が必要となってきたわけです。生駒の地神のパワーが強力であれはあるだけ、不動明王の手にはあまってしまい、とうとうそこに小さな聖天様の祠が立つことになった、というのが、じっさいの歴史だったような気がしてなりません。

『悪党的思考』p322

 後戸というと摩多羅神が一番に想起されるのだろうか?
 東大寺・法華堂の執金剛神のようにさまざまな神仏が比較的古い段階なのだろうか? さまざまな類例が得られそうな気がする。

中世の智

もはや今のわれわれにとっては捨て去った塵芥にも等しいものであろう。しかし、その塵芥を堆肥として咲き出た花の美しさは賞でるのである。何故その花が咲いたのか、その美しさのゆえんは、それを咲かしめた土壌の質を問題にせざるを得ないであろう。

「中世日本紀の輪郭」p1216

即位灌頂の発生

阿部 ひじょうに現象的に、大嘗祭が天皇即位の儀礼としてなかなか運営できなくなったから、逆に仏教がいろいろな即位儀礼をつくり出して、それに代わるものとしてやったという。ひじょうに単純な解釈をされる。それはちょうど鎌倉末期から南北朝前後に王権の維持がおぼつかなくなってきたときに、こういう即位儀礼に関することがいろいろ記録に出てくるから、それはやはり対応した現象なんだということなのですが、さっき申しましたように、即位灌頂はもっとさかのぼるわけで、けっしてそういうふうに単純に対応するものではない。(略)結論はそこまで単純にいわないほうがいいだろうと思っているんです。

「即位法の儀礼と縁起」p36
 即位灌頂の成立。その時期が大嘗祭のような律令制下での王権儀礼の衰退とオーバーラップする時期にあるのは確かなことなのだろう。
 しかし、即位灌頂の成立の原因をそのことに求めるのは早急にすぎる。
 仏法の側、律令制下で王権儀礼にたずさわっていったもの。そして王自身のアイデンティティーみたいな。

2007年04月25日

T村伝説(仮)

(鳥瞰で)山道をはしるバス。ぼくのモノローグ。モノローグにあわせて、地図、バス車内がオーバーラップする。
 バス停。走り去るバス。2人が残る。歩き出す2人。2人のアップ。Mが語り出す。

「この村の人たちは自分たちが鬼の子孫だと信じている。だから、節分の祭にも、けっして鬼は外、福を内なんて不用意なことをとなえたりしないんだ。だって、そんなことしたら自分たちの御先祖を追い払うことになるし、だいいち自分たちじしんのレゾン・デートルがなくなっちまうものね。その人たちが今夜、村のなかに鬼をむかえいれる。それは神秘的な瞬間さ。」

『悪党的思考』p277

 なんか、こんなショートフィルムにしたら学術論文がブレイク・スルーする気がした。

ダキニと王権

 スワット地方(密教の本ではウッディヤナと呼ばれる)、

そこに「王権」が生まれた。王たちは皆、密教僧としての修行をつんだ。そして、その王たちが、この国の帝王たるにふさわしい資格を持つためには、彼らはダキニ女神の力と教えとをこわなければならなかった。

『悪党的思考』p265

輪王灌頂の結印

まず、真言密教のオーソドックスな印である、智拳印、無所不至印、塔婆印、引道印、仏眼印の五つがさずけられます。(中略)大臣はここで、外五鈷印という特殊なムドラーを、天皇にさずけます。(中略)それが「四海掌領」の印として、この「輪王灌頂」のもっとも重要な、もっとも神秘的なムドラーだったのです。その印を知ることによって、天皇ははじめて「帝王」になれたわけです。このあとにも伝授は続きます。七道の印というのが手渡されます。東海道、西海道、南海道、、、

『悪党的思考』p255
「輪王灌頂」の所作のなかから、(ムドラー)にまつわる所を抜き書き。
 恥ずかしながら、智拳印しかイメーヂできない、、、

2007年04月24日

『熱田の深秘』

伊藤正義氏「熱田の深秘−−中世日本紀私注」『人文研究 第31巻9号』1979年 大阪市立大学
伊藤正義氏「続・熱田の深秘−−資料『神祇官』」『人文研究 第34巻4号』1982年 大阪市立大学
阿部泰郎氏「熱田宮の縁起−−『とはずがたり』の縁起語りから」『解釈と鑑賞 第63巻12号』1998年

2007年04月22日

即位の結印

帝王が即位の時、智拳印を結び、高御座につくのよし、匡房卿記に一筆これを書く云々。その外にその事を知らない。

慈円『夢想記』「即位法の儀礼と縁起」p10

「匡房卿記」は具体的な書名ではなく、大江匡房の記という意味らしい。

 また、匡房が書いたと推定される『後三条天皇御即位記』に、

主上は、この間手を結ぶ、大日如来の印の如くに、拳印を持つ

 同p11

 と、見えるという。匡房の関連として、備忘録。

2007年04月19日

深吉野

「ユズルハの御井」の上を鳴き渡ってゆくのは、昔から恋をうたうという鳥だよね。

(『萬葉集』一一一)

『眠狂四郎・殺法帖』

63年、大映。市川雷蔵主演。シリーズ一作目。 加賀百万石の命運を決する密貿易の証拠を秘めた仏像をめぐる争いに巻き込まれた眠狂四郎の活躍。田中徳三監督。

『中日新聞070416』

2007年04月18日

明治の即位法

元勲(げんくん)山県有朋(ありとも)はロシア皇帝ニコライ二世の即位式典に国家を代表して参列し、深い感動をおぼえる。ギリシャ正教の神秘主義的演出におおわれたその式典のなかに、彼はいまの天皇制にもっとも欠如していると思われた、ひとつの「美点」をみいだしたのだ。それは「王権」がじぶんの核心部分に秘密をかかえこむ、ということだ。

『悪党的思考』p181
 木村毅氏『明治天皇』に細説されていることらしい。

2007年04月17日

近世の王権

近世型権力の流動体支配は、なめらかな空間の住人を商人にかえ、その空間の「幸」を商品に変え、多様な運動を貨幣の一元的な動きにつくり変えていくムーブメントがととのったとき、はじめて作動しはじめる。これによって、「天下人」という「王」たちは。はじめて天皇をのりこえることが可能になった。古い中世的な天皇の権威をアジールの流動体もろともに解体し、それをじぶんのなかに再編成してしまうのだ。織田信長が、アジールの特権を解体するために、有名な「楽市令」を発令したとき、彼はこれから形成されようとしている新しい「王権」の原理を、はっきり読みとっていたような気がする。

『悪党的思考』p164
 中世的な非農民「なめらかな空間の住人」をより近世的なモノへ変質させてゆく。ここに中世的なものの終焉をみる。
 ただ、戦国時代をどう解そう。後醍醐以来の中心性のなさ。

2007年04月15日

『本』

中沢新一氏「カイエ・ソバージュ完結によせて」『読書人の雑誌 本』2004年3月号 講談社

中世の引用

たとえば『伊勢物語』とか『源氏物語』とかに基づいていることがはやくから知られている曲についても、近年は、それが当時どのように理解されていて、謡曲にどのように反映しているかを、古注釈書ほか広く中世資料を見わたして考えるようになってきている。しかも謡曲に反映している素材世界は、これら古典に限られるわけではなく、文芸・非文芸が一体となっている中世文化のあらゆる領域に広がっていて、一曲の構想に関わる本説から、一句の修辞・文飾に到るまでに及んでいる。このことは必ずしも謡曲に限ったことではなく、いわば中世文学史の基盤とでも言ってもよいのだが、、、

伊藤正義氏「解説 謡曲の展望のために」『謡曲集(上)』 新潮日本古典集成 p364
 一つの本説が註釈や本歌取りのようなカタチで享受・再生産されてゆく。
 その多様な引用が、さらに大きな知的体系を作り上げてゆく。
 その中に広がってゆく曖昧さ、不正確さ、、、

第六天

「第六天」『謠曲大觀 第3巻』p1767 佐成謙太郎氏 昭和6年
 荒筋は、大神宮に参詣した解脱上人が第六天と出会い、素戔嗚尊が第六天を打ち破るというもの。
『太平記』巻12に出典があるとする。

2007年04月08日

書評

阿部泰郎氏 「松本郁代著『中世王権と即位灌頂−−聖教のなかの歴史叙述』を評す」『日本文学 VOL.56』日本文学協会 2007.1

2007年04月07日

ヴァルナ

天皇は神官であることによって。「法治する王」としての天皇王権を表現するものとなる。ところが、彼が密教の法服を着て、手に法具をたずさえ、口にリズミックなマントラをとなえながら、即位の儀式をおこない、護摩(ごま)をたくとき、彼は王権の持つもうひとつの側面である「魔術王」の機能をとりもどそうとするパフォーマンスをおこなっているのである。(略)まさに「四海を掌握」しようとしたのだ。

中沢新一氏『悪党的思考』平凡社ライブラリーp40
「法治する王」をミトラ、「魔術王」をヴァルナと呼ぶらしい。
こういう引用の仕方はいいのか悪いのか、、、

2007年04月06日

おもしろみ

だからある哲学の考え方がなるほど面白いと感じられるのは、必ず自分のごくあたりまえで単純だと思っていた見方の表層がめくられて、その下層があらわにされる場合なのだ。

竹田青嗣氏『現代思想の冒険』ちくま学芸文庫P246