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2007年05月26日

「長寛勘文」

「長寛勘文」について、

このとき諸家の奉った勘文をすこし覗いてみると、この筆者たちの頭のなかでは、伊勢も熊野も朦朧としてほとんど区別がつかなくなってしまっていた。それはとりも直さず、彼らの権力をいちばん根底のところで支えていた《聖なるもの》(Le sacré)が、もはやなにがなんだか分からないものになりつつあったということにほかならない。

「馬頭観音」p16
〈中世日本紀〉のような再編成がおこるきっかけをみるような。気が、、、

熊野

たとえば、『保元物語』という本を読んでみる。……久寿2年(1155年)、熊野に参詣した鳥羽法皇は、「明年の秋のころかならず崩御なるべし。そののち世間手のうらを返すごとくなるべし」という、熊野本宮の託宣をこうむった。果たして、翌、保元元年の夏、法皇不豫となり、7月2日に逝くなった。そして法皇の長子崇徳院(当時、新院という)と次男後白河帝とのあいだに、法皇崩御ののち「わづかに7箇日の」うちに、「保元の乱」が勃発し、わが国における古代から中世への一大転換、未曾有の「内乱」時代の幕が切って落とされることになった。……「保元の乱」という歴史的事件に、理由はとにかくとして、熊野が事件そのものに、その内的構造として必然的に入りこんでいたということもないとはいえないのではないか。……私の頭のなかを、熊野が熊野としてあばれはじめるのである。

丸山静氏「馬頭観音」『熊野考』p8

〈熊野〉は、場所であり神であり、それらをも大きく包み込むような構造のようなものなのかもしれない。
 その〈熊野〉が、歴史を突き動かす引き金となる。そんな一瞬。
 それは、『物語』という虚構のなかの出来事なのだろうか?
 まず第一、『物語』は虚構なのだろうか?

 引用が少し下手だが、ぐっと引き込まれる段落。

予告篇

 翡翠の仏像を握る手。
「こんな石ころに! こんな石ころに!!」
 町娘。黄色い声。
「狂様!」
 BGM「人魚姫」眠狂四郎、全身、正面。
「円月殺法」
 竹藪。下段に構える狂四郎。20〜30人の男。
「円月殺法は下段に構えその(やいば)が虚空を一周する間に敵を皆殺しにする、いわば、下段の殺人剣」

 お歯黒のおいらん道中。
 BGM「運命」男と狂四郎。
「照手の出生の秘密とて、狂四郎! お前には関わりのないことだ!」
 少林寺の使い手と照手。
「照手が帰して欲しくば、金沢へ来い!」
 狂四郎アップ。
 照手を抱える狂四郎。
「照手!!!」

「残酷「活」劇 円月「殺」法」

2007年05月20日

稲荷・ダキニ・狐

稲荷とダキニと狐の関係をみると、稲荷の神がまず狐を使獣とし、一方、狐とダキニとが同一になり、最後に『ダキニ天豊川稲荷』というようなものが出来たのであろう。

 和田徹城氏『淫祠と邪神』『狐』p144
 稲荷、ダキニ、狐の習合について、稲荷と狐、ダキニと狐の習合がそれぞれおこり、狐つながりで稲荷とダキニの習合がおこったのではないだろうか? というような考察。

東寺の夜叉神

守覚法親王の『拾要集』にいわく、「東寺の夜叉神のこと、(略)この寺に奇神あり、夜叉神・摩多羅神と名づける。(略)そのカタチ、三面六臂、かの三面は三天である。中面は金色、左面は白色、右面は赤色である。中は聖天、左は吒吉尼、右は弁才である」

 前田夏蔭氏『稲荷神社考』『狐』p140
 夜叉神、摩多羅神の関係、そのカタチの意味がとりづらい。

2007年05月10日

『宝暦治水』

牛嶋正氏 『宝暦治水−歴史を動かした治水プロジェクト』 風媒社

 未購入だが、なんかタイトルに惹かれた。経済学の先生らしい。

狐との習合

狐が人間から忌まれ、かつ(うと)まれる最大の理由は、墓地を(あば)くという無類の悪癖のなかに求められる。

松山義雄氏『続々狩りの語部』吉野裕子氏『狐』p13
 ふと、『悪党的思考』に示されていたダーキニの墓場につどうという特徴が頭をよぎる。
 ダキニ、稲荷、狐、複層的な習合の様があるような気が、、、これからが楽しみ。

信太妻

日本の民話・伝承の中に、狐女房、信太妻など、話の筋に多少の相違はありながら、もの悲しい子別れをそのテーマとするものが、息長く伝えられている理由は、狐の生態の中でもことに特徴的なこの子別れの儀式が、つよく人々の心に訴え、感動をよびおこしたものであったからに相違ない。

吉野裕子氏『ものと人間の文化史39 狐 陰陽五行と稲荷信仰』 法政大学出版局 p12
 有名な安倍晴明の出生の秘密をとく「信太妻」も狐の生態である「子別れの儀式」に由来を求められるのではないかとする。「狐女房」の細述はp15〜