48 中世は武士の時代?
今回、中世について、朝廷と幕府の二つの勢力があった時代として説明してきました。
しかし、日本の歴史では承久の乱(1221年)という戦において朝廷が敗れることにより日本は武士の時代になると説明されます。
この説明は、中世という言葉が西洋の歴史で使われていた言葉の訳語であることと大きく関わってきます。
西洋の中世は武士の時代で、日本の歴史を研究していた人たちが西洋の中世と日本の中世の似たところを調べて、日本の中世も武士の時代であると結論づけたことによるイメーヂなのです。
しかし、はたして人間の文明の発展というものがただ一つの道筋しか持たないのでしょうか?
日本の中世において、それ以前に比べて武士の力が大きくなることはまぎれもない事実です。
一度、みなさんも少し考えてみてください。
もうひとつ、今回、織田信長・豊臣秀吉の時代(織豊の時代と省略します)、そして彼らを生み出す少し前の時代を中世と切り離して考えてみました。
織豊については中世とは別の時代であるという考え方は昔からあります。
また、稲沢の土地がら織豊という時代を生み出す人物が生まれた場所ですから、他の地域より、少し早く次の時代に移っていたと考えることはできないことではないでしょう。
40 中世
41 元寇と稲沢
42 東円興寺
43 萬徳寺の宝物
44 下津北山遺跡
45 祐禅と禅海
46 国府宮神社
47 『名所図会』を読む
48 中世は武士の時代?
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歴史に対する私観ですので正確なところは学術書でご確認ください。
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