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2007年07月30日

第I部第五章結

天皇が一人という前提に対し、寺家によって、複数ある真言系即位法の伝持や蓄積が行われていたということは、被即位者としての「天皇」の存在を、寺家が印明を介して握っていたことを示している。即位法の存在形態からみると、「天皇」は、必ずしも一種類の価値体系に基づく王権保持者たる天皇ではなかった。つまり、真言宗寺院で伝持された即位法の動向は、法流レベルで異なる王権観を担い、さまざまな説を展開し、最終的に自己の法流にとって最強の「天皇」を生み出す修法であったと考えられる。

『中世王権と即位灌頂』p148
 こう結論づけるからこそどうなるのか? と聞きたくなったりする。

 しかし、「最強」の語に異論が差し挟まれるように、はたしてこんな単純な結論なのだろうか?
 天皇その人の周辺。天皇、摂籙(とくに二条家?)、御持僧など天皇とパイプラインのある寺家。
 一人の王が即位する場合、有職故実的に事が進むのであれば、物知りに事の次第を尋ねるのではないだろうか?(この辺、論理的な言葉を知らない)
 そんな場合、摂籙に伝持された即位法は存在しなかったのか? その時々の釈家とのつながりによってさまざまな法流が返伝授のようなカタチで摂籙に持ち込まれたのだろうか?
 寺家に残る「即位法」は、天皇の即位のみの修法なのだろうか? 「即位法」を用いる外法のような修法はなかったのだろうか?
 久しぶりに、ゴチャゴチャ書いたな。

即位法の印契

印契

図6 即位法印契図。本図は『密教大辞典』増補版第6巻(法蔵館、1970)所収「密教印図集」掲載等の印を参考に、した

『中世王権と即位灌頂』p139
 智拳印の左手の向きが通常の大日如来とは異なる。
 普通の大日如来のようにすると左手人差し指が痛い。

「4.四海領掌印」の親指と小指、左右逆かもしれん。
いや、、、なんとなく、、、

覚済の弟子

我宝、叡心、意教は、ともに金剛王院流の覚済の付法弟子である。

『中世王権と即位灌頂』p129
 なんとなく、「覚済」は聞き覚えがあったので附箋。

東寺型即位法

東寺型に分類できる印信形式の即位法として三輪流神道の「父母代汀御即位」、「神道符法印可」の「第五重」が挙げられる。この資料は、東寺型の即位法と同じ印明のものが「四海領掌法」として文中に引用されたものである。

『中世王権と即位灌頂』p126

即位法型式分類

即位法の内容の共通性や、宗派や法流など組織に基づく伝持(属性)の違いとして捉える型式分類を行う。具体的な型としては、東寺型、天台・真言混合型、醍醐寺諸流型、勧修寺流型である。但し、型に当てはまらないものは除いた。

『中世王権と即位灌頂』p125
 即位法の型式分類としては4つの型とそれに当てはまらないモノの5つに大別されるようである。

2007年07月20日

即位法印明大別

京近郊の寺院に伝来した真言系即位法の各資料中の印・明を分類すると、(1)金剛薩埵印明、(2)四海領掌印明、(3)智拳印明、(4)五眼各別印明、(5)所作(肩腕手による印相)の五種類に大別できる。

『中世王権と即位灌頂』p76
 この後、各資料にこの大別をあてはめ、即位法に於ける印明を4つの組み合わせとして導き出している。

『鼻帰書』

門屋温氏「両部神道試論   『鼻帰書』の成立をめぐって」『東洋の思想と宗教 10』1993年

即位2種類

真言系即位法のなかでも、醍醐寺三宝院流に伝持された即位法 = 「四海領掌法」は、二種類あった。すなわち、地蔵院方の歓喜天を本尊とする一印一明の即位法、報恩院方のダキニ天を本尊とする三印二明の即位法である。そして、報恩院方が伝持した南朝方の即位法は、従来から、その存在を指摘されていた「東寺即位法」であった。

『中世王権と即位灌頂』p69
 地蔵院方の即位法は「即位三宝(院)嫡々相承大事」p58〜。
 報恩院方の即位法は「東即位」p38〜。
「東即位」については『天照大神口決』 = 『無題記』や『鼻帰書』との関係が指摘されている。
「国府の弥陀」の覚乗ゆかりの2書。

「東寺」の「歴史」

小峯和明氏「文学の歴史と歴史の文学   中世日本紀研究から」『日本歴史 608』1999年 p74〜76

即位灌頂とは

即位灌頂とは、摂関家から即位予定の天皇に印明が伝授され、即位儀礼の当日、天皇が高御座(たかみくら)で伝授された印を結び、明を唱える行為のことである。そして儀礼前、天皇に印と明の内容を伝授したのが、二条摂関家である。この行為を印明伝授という。

『中世王権と即位灌頂』p11
「印」は手で〈聖なるモノ〉のイデアを象徴する行為。「明」は声で〈聖なるモノ〉を表現する行為。
 摂関家が「二条家」に特定されるのが、「即位灌頂」の時代性を表出する。

2007年07月16日

破局論

水戸:正直、やりやすくなった?
:(笑)正直、変わらないといったら嘘になりますね。でも、もう水戸さんにお会いするのは止めようかなとも思いました。
水戸:ここからが、皆さん聞きたいんぢゃないんですかね。で、破局について、、、

:つきあいだした当初からお互いの媒体としての立ち位置の違いが大きいこともあり、お互いの未来予想図をなるべく変えないようにして、すりあわせをしていこうとした矢先に彼女が別離れを決断しましたからね。
水戸:あまりに一方的だという意見もあるようですが?
:いや、別にいいんですよ。ある意味、彼女の個人幻想のようなところがあるから。。。
水戸:と、いいますと?
:こういう考え方は結果論なのかもしれませんが、彼女の愛に対して、あらがうこともへつらうことも無意味なことだったように思いますね。ただ疲れてしまっただけなのかもしれないけれど、、、
水戸:彼女に対して一言イッソヨ(ありますか)?
:彼女は生身の人間として生物学的に(なんか硬くて差別的に聞こえるかもしれませんが)ピークに達しているわけで、その意味でも皆さんが彼女に対して温かく見守って欲しいということです。

2007年07月09日

格差論1

水戸:「今世紀最大の格差婚」との呼び声も高いようですが?
:それは言い過ぎでしょう。でも、今世紀最初の格差婚かもしれない。
水戸:と、いいますと?
:これまで、もてはやされている格差カップル。ログをとると1に満たないでしょ。うちは2あるから、やっと格差かな? という感じ。
水戸:「ログをとって1に満たない」と格差ではない?
:そうですね。少なくとも1は欲しい。ニートとOLのカップルで格差のある所でやっと1くらいかな? 意外に2いくカップルって多分、皆無。稼げないし、最低水準の生活もなんか見えちゃう。
水戸:元祖、格差婚宣言みたいな・・・
:まぁ、、、グローバルな目で見たとき、ログとっても1ケタくらいの所得格差があるわけで、そのグローバルな視点で見たとき、中の上のあたりで1違うの2違うので張り合っていることが健全なのかどうかは疑問が残りませんか?
水戸:はぁ、

2007年07月08日

アジール

かつて平泉澄博士は中世では寺社がアジール(避難所)の役割をはたしていたことを興味深く指摘されたことがあります(『中世に於ける社寺と社会との関係』一九二六年)。……近年、網野喜彦氏は〝無縁〟〝公界〟というように「非農業民」的な社会のあり方の一形態として説明されました。

『王法と仏法』p211
 以前どこかで読んだことのあるような一文。こんな所に典拠があった? とは、、、

庶民と安穏

ことに庶民の立場になってみれば、いつの時代でも庶民が戦乱を賛美することなど、あるはずがないのです。

『王法と仏法』p205
 当たり前に聞こえるが、「武士の時代」とされる中世においてもこのことは当たり前であった。

芸能としての武

十三世紀に良季という人が著わした『普通唱導集』には、「世間出世芸能二種(「芸能」傍点)」のうち世間部の「芸能」に、文士・随身・歌人・医師・巫女・番匠・遊女・田楽・商人等々と並べて「武士」が記されており、

『王法と仏法』p195
「武者」「武士」のような言葉は当時は芸能として意識されていたという引用。

天狗

天狗は日本の民間信仰ないし民話の産物で、古くから文献に散見するが、この十四世紀にはずいぶん流行し、『天狗草紙』『是害房絵詞』などの絵巻物もつくられたし、『太平記』にも天狗の話がよく出るのである。当時の天狗は、今日の赤ら顔で高い鼻、やつでの葉のうちわをもった天狗ではなく、羽の生えたトビが山伏の姿をしたかっこうで、高慢で悪心をいだき魔力でもって世を乱そうと執念をもやし、人の目にみえぬように出没していると考えられていた。……要するにそれは高慢・我執が昂じた悪魔である。ところが天狗が、不適・不思議・奇怪なやり方で世を騒がせひっくり返すについて、それは世のなかがおかしくなっていることにそもそもの問題があると、多少「世直し」待望の気分を伴い、また漂逸で軽妙また痛快で、どこかおどけたところもあった。

『王法と仏法』p172
 引用がいささか長いが中世の天狗についての一文。

悪党の風貌

そのころの悪党というのはまことに異類異形(いるいいぎょう)、とても人間ともおもわれぬ姿でした。柿帷(かきかたびら)(柿色の単衣(ひとえ))に六方笠(ろっぽうがさ)(女の日傘)をつけ、烏帽子(えぼし)(はかま)をつけず、人に顔をみせないようにこそこそ忍び歩き、矢の数も不揃いな竹矢籠(たかしこ)(竹の筒に矢を入れて背に負う道具)を負い、(つか)(さや)も剝げた大刀をつけ、竹長柄(たけながえ)(竹の長い柄をつけた武具)や撮棒(さいぼう)(堅い木の先の尖った棒)の杖をもつだけで、(よろい)腹巻(はらまき)などのようなまともな兵具はとてももちあわせていないという奇妙な姿でした。

『峰相記』『王法と仏法』p164

『太平記』の神秘記事

『太平記』において、

後半において、怨霊(巻二十二、大森彦七事)、宝剣(巻二十五、自伊勢上宝剣事)、天狗勢揃(巻三十、尊氏兄弟和睦附天狗勢揃事)というような神秘主義的構想ないし技巧が強く現われざるをえなかった、、、それはもはや「不思議」の技巧への堕落以外の何ものでもない。

『王法と仏法』p141
『太平記』の神秘主義的記事への附箋。

2007年07月06日

元彼論

水戸:彼女については、元彼の話が取りざたされますが、そのことについて何かお考えはありますか?
:ないですね。でも、眼中に無いと言っては嘘になります。
水戸:と、いいますと?
:それは例えば彼の未来予想図に彼女が必要ならば彼に男として彼女を振り向かせて欲しいと思います。
水戸:それは、ある意味自信に満ちた発言のようですが、、、
:ある意味、自信満々です(笑)

2007年07月05日

媒体論

水戸伊勢彦:さっそくですが、彼女にひかれた理由について教えていただけますか?
:まず、僕たちの知っている彼女というのは媒体なんです。
水戸:媒体?
:そうです。媒体。テレビであれ雑誌であれ、媒体なんです。彼女を一旦、媒体と考えないと生身の彼女が見えなくなる愛せなくなる。
水戸:と、いいますと?
:媒体であるということは、つまり、テレビを例にすると、テレビを見ると影響を受けます。ぢゃあ、見るのを止めるとする。しかし、昨日までテレビを見て影響を受けた自分はいかんともしがたい。媒体の影響からは逃れられない。仮に自分は一切テレビを見ていないとしても、テレビの影響を受けた人とコミュニケーションをとらなくてはならない。やはり、媒体の影響からは逃れられない。で、何の話でしたっけ?
水戸:彼女にひかれた理由。
:そうそう、、、

つゞく?