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2007年10月29日

2台目のリムジンの行方

「・・・」
「なによ、ボーッとして。今、あの女の事、考えてたでしょ?」
「えっと・・・」
「えいっ!」
「あふっ」
「ほら、考えてたっていいなさい。じゃないと止めちゃうよ」
「はぁ、はぁ(でも、「はい」とも「いいえ」とも答えられないよなこの質問、、、)」
「もう! 憎い人。私だったら、こんな事も、あんな事だってしてあげるのに、どうしてあの女なのよ?」
「・・・」

2007年10月28日

口伝主義

中古天台のもう一つの特徴が口伝主義である。それまでの文献主義と異なり、師から弟子への口伝えによる相承が重視されるようになるのである。

『『渓嵐拾葉集』の世界』p24

 血脈のような考え方にもとづいて、教義は細分化されていく。それを可能にした一つの要因に口伝主義が考えられよう。
 また、口伝を再び文献化する作業はとりもなおさず記家の職能でもあった。

「分権化」→「文献化」

血脈

十四世紀半ば、比叡山では教理の解釈の違いによって学問の流派が細分化されており、師匠から弟子への伝授は、秘密を旨とした口伝主義に貫かれていた。その相承の系譜が血脈と呼ばれるもので、法派を正しく受け継いだ者の正統性を示しているのである。

『『渓嵐拾葉集』の世界』p10

 中世の知的体系のバリエーションの多さは、この血脈のような考え方を重視しなければ理解できない。
 血脈は師弟関係の契約であるとともに、大日如来や釈迦如来といった仏とのつながりも神話的に示すものである。

記家

『渓嵐拾葉集』の序文には、「顕教、密教、戒律、記録」の四つの分野にわたって記録が行われたことが次のように記されている。(中略)そして、記家とは「「記録」に没入することによって仏教の真実に到達できるという信仰」を生み出した人々であったという。

『『渓嵐拾葉集』の世界』p7

 天台の知的体系として「顕教、密教、戒律、記録」という4つの分野があったという。
 その中で、記録をあつかう人々は記家とよばれていた。

『渓嵐拾葉集』

『渓嵐拾葉集』は大正新修大蔵経(以下、「大正蔵本」と略称)第七十六巻に真如蔵本が、最近では『神道大系』の天台神道編に山王関係と戒家部の巻が部分的に翻刻されている

田中貴子氏『『渓嵐拾葉集』の世界』名古屋大学出版会 p1

 大正蔵本は、大きく2つに別れるものを一つにあわせたものらしい。

奈良博

天高し 春日の杜の 鹿の声

2007年10月27日

秋の夕

青空に 赤い雲 鳥、帰る

2007年10月25日

少し寒いね

 あれ。
 耳がこんなに冷たくなってる。
 暖めてあげるよ。

 どうやって、暖めて欲しい?

俳句

寒空に 凛と光りし 後の月

2007年10月24日

小春日和

小春日の 光の中に 我のある

2007年10月21日

「異類と双身」

山本ひろ子氏
「IV[人獣の交渉]異類と双身――中世王権をめぐる性のメタファー」『変成譜』春秋社

はじめに(灌頂・即位法)
1双身の神智学
[1]慈円の夢想から
[2]双身歓喜天と双身毘沙門天
[3]愛染王/そのポリツティクスとエロス
[4]神祗灌頂の世界
2辰狐のイコノグラフィー
[1]「天照太神の秘法」と子良(こら)
[2]三狐神の像容
[3]「狐狼(こら)の大事」と辰狐王

もうすぐ

夕焼け 泡立ち草の 金の海

2007年10月19日

unicodeのkiss

 メルマガタイプの話題のネット小説。
 少女は、その舞台が自分の住む近所であることに気付く。
 少女は、なぜかその作者に会いたくなる。

 小説は後数話で完結。少女は小説の舞台をたどることで作者をさがす。
 小説の最終話を読んだ後、少女は作者を見つけ出す。

 しかし、小説の作者は紛争地域で人質となり殺害された後であった。
 小説は書き終わったものが定期的に送られてくる設定になっていたのだ。

 少女に残されたのは、小説と紛争地域を取材したブロクである。
 少女のもとに小説のあとがきが送られてくる。。。

俳句

candleの 光ゆらめく 夜長かも

2007年10月18日

ムダに一日を過ごす

 もし、明日死ぬとして、今日これから何をするのだろう。
 とりあえず、寝るのかな? 実感無いけどね。

 もし、余命3ヶ月としたら、ブログまとめて『レビュー』を直して、、、
 いろいろやることあるな。。。

 本とか読むのかな? 自分の中でまとめたモノが虚しくなっちゃうのに、、、
(この話題重いな、、、例え話として、、、)
 でも、読むんだろうな。読んでまとめ直してブログに、、、

 えーっと、今日ムダに過ごして、最後「アレもいい思い出だったな」と思えるような明日を。
(たまには普通のブログ風に、、、)

即位灌頂とダキニ

即位灌頂で天皇に授与されるダキニの真言にほかならない。日本の王はなぜ、輪王灌頂のシステムに吒天法を必要としたのだろうか。  この点に関して『渓嵐拾葉集』は経典にみえる三つの逸話をあげている(巻三十九「吒天法」)。第一は、帝釈天が狐を敬い師とした話(未曾有経)。第二は、梵天、帝釈天は畜類を敬い師とした話。第三は狐を敬うと国王に成れる話(涅槃経)。

『変成譜』p339
 即位灌頂でダキニ真言が用いられる。その理由が三点あるとされる。

天照太神と辰狐

天照太神が天下りになって後、天の岩戸へお籠もりになったと云うのは、辰狐のカタチでお籠もりになったのである。

(『渓嵐拾葉集』巻第六「神明部」)『変成譜』p336

 即位法が吒枳尼天法という「狐」をモティーフにする修法であるということ。
「狐」の属性として天照太神と辰狐とのつながりを示す資料。

易産の護符

また「人平生丸力」と書いた文字を一字ずつ切り産婦が呑むと安産がかなうとされた。それは「伊」を「人」と「平」に、「勢」の俗字「㔟」を「生」「丸」「力」に分解し、「人平ルハナリ」という意を孕んだ呪符としたものである。「伊」は男、「勢」は女の意で、それゆえ「伊勢」の二字を呑んでも可とされた。このほか、右の五字を「五体の表」とみる「伊㔟二字大事」(大須文庫蔵)が切紙伝授されてもいる。

『変成譜』p333
「伊勢」の二字が安産に効くとされる事例。興味深いので備忘録。

2007年10月16日

kissしよっか?

目を閉じて。

唇をさわって、ごらん。

キスしてあげるから、、、

2007年10月15日

マイ スイート アイドル

ビーナス
 ガチャガチャでゲット。
 多少、肖像権が心配。何処が原資料の所蔵者か未調査。
 高蔵の壺が欲しかったのに、、、

 でも、カワイイし、、、

2007年10月14日

メランコリンコ

 こんばんは、小○優子です。
『小○優子の今夜もメランコリンコ』
 最初のコーナーは「いきなりショートポエム」。
 ラヂオネーム・ほおづきさんの作品。

 まず、言葉から思想が無くなる。
 みえすいた、駆け引きだけが目につくようになる。
 人は、言葉に耳を傾けなくなる。
 今度は、行動から思想が無くなる。
 綿密な駆け引きが瓦解して、大切な籠の鳥も逃がしてしまう。
 なんか、、、

 はい。以上です。
 私には、なんだかよく判らないポエムです。
 ほおづきさんには、番組特製、カードと新聞をお送りします。

 なんか、、、オチがない。ゴメンナサイ。。。

天照大神の本地仏

一方、天照大神には、大日如来を本地仏とする説と観音を変化身とする説が中世までに成立していた。

『変成譜』p315

『鼻帰書』には、内宮を愛染明王、外宮を不動明王とする説がみえる。それには「一仏二明王」(大日如来と不動・愛染)の習いも関係していようが、次のような「日ノ愛染・月ノ不動」説も見逃せない。

『変成譜』p373 注20
 天照大神や伊勢神宮に対する神仏習合による本地仏の比定。
 さまざまな教義や解釈によってさまざまな説があったのかもしれない。

愛染王法

 愛染明王を本尊とする修法、愛染王法では愛染明王の左手の一つに三昧耶形を持たせる事があるという。
 その中で、興味深い物として、

しかし何といっても極めつきは「人黄(にんおう)」なる物だろう。「人黄」とは「人之精霊」「命根」で、いわば生命の源なのである。行者は自分の人黄を、明王の手中に隠し持たせると観ずることにより、所願は成就し、惑障は降伏されるという。

『変成譜』p314
 と、「人黄」なるものを挙げている。
 いかにも外法的と思うのは、僕だけだろうか?
 この人黄を持たせた愛染王法は降伏法であり、また、「人黄」が「人皇」と音が通じることから、摂関家が人皇を掌握する修法としても用いられたという。
 有名な京都宇治・平等院も愛染明王が平等王なる異名を持つということに由来するという。

聖天秘決

『渓嵐拾葉集』には、象はたとえ肝を焼かれようも、命ぜられるままにどんな熱い鉄の玉でも呑む。だから聖天は、行者の所願に従って、どんな「非法悪行」をも成就させる、と記されている(巻四十三「聖天秘決」)。

(「どんな・・・成就させる」傍点)
『変成譜』p304
 ゾウの頭と人間の身体をもつ聖天。
 ゾウの温厚で従順なことを比喩的に「鉄の玉を呑む」と表現している。
 そのゾウの従順さから聖天の「どんな「非法悪行」をも成就させる」という外法的な性格が導き出されるという。

慈円の霊夢

山本ひろ子氏「幼主と玉女」『月間百科 三一三号』1989年
田中貴子氏「〈玉女〉の成立と限界」『巫と女神 シリーズ・女性と仏教 四巻』1989年
山本ひろ子氏「霊告をめぐる慈円の精神史的一考察」『寺子屋語学文化研究所論叢 二号』1983年

即位灌頂

すべてが史実とはいえないまでも、かなりの信憑性を伴って摂関家(主として二条家)伝来の即位法(印明(いんみょう)伝授)の存在が浮かび上がる。それは、天皇が大極殿の高御座に着御するに際し、摂籙(せつろく)の臣が「一印一明」を授ける作法であった。

『変成譜』p293
『即位灌頂印明由来之事』という資料に即位法の縁起(由来)が書かれているという。

即位灌頂

伊藤正義氏「慈童説話考」『国語国文 四九巻一一号』1981年
阿部泰郎氏「慈童説話の形成」『国語国文 六〇〇・六〇一号』1984年
阿部泰郎氏「中世王権と中世日本紀」『日本文学 三六五号』1985年
阿部泰郎氏「「大織冠」の成立」『幸若舞曲研究 四巻』1986年
阿部泰郎氏「『入鹿』の成立」『芸能史研究 六九号』1980年
阿部泰郎氏「宝珠と王権」『日本思想2 岩波講座・東洋思想 一六巻』1989年
阿部泰郎氏「即位法の儀礼と縁起」『創造の世界 七三号』1990年
上川通夫氏「中世の即位儀礼と仏教」『天皇代替り儀式の歴史展展開』1989年
桜井好朗氏「北畠親房と即位灌頂」『日本歴史 五〇〇号』1990年

2007年10月12日

千の風になって

その匂い しばし留めよ 秋夜風

2007年10月11日

俳句

朝寒の 刈り終わる田に 鷺の群れ

2007年10月07日

変成男子法

こうして変成男子とは、女人の切実な希求に立脚する限り、それは成就のための行方となって実践されることになる。日本では王朝期以来、変成男子法がしばしば修せられたが、来世で男子に生まれ変わることを目的とする法のほかに、未生の胎児の、胎内における女から男への転換を目的とするものも多くあった。

『変成譜』p260
 後段の「未生の胎児」に対する変成男子法は男子優先の社会構造の中では切実なものであったように思われる。

龍女成仏の属性

裏返せば、現身の女人が背負う罪業というモチーフにさほどの感心は払われていないのであって、それはかかる龍女成仏の習いが、女人によって担われたのではないことを示してもいよう。(中略)  それは中世叡山における本覚思想の爛熟を物語る。劣機なるものが正覚に達するという覚醒の逆立構造である。

『変成譜』p257
「龍女」のイメーヂから来る、女人成仏のような発想がダイレクトに女人に反映されるのではなく、本覚思想を通して劣機なる者の逆転的な成仏を象徴するものであるとする。
(言いかえただけ)

龍王3題

『源平盛衰記』には、

その大蛇は、宝剣は「日本帝の宝に非ず。龍宮城の重宝也」と宣言し、素盞烏命(すさのおのみこと)に奪われた剣を奪い返すために、出雲国簸川上(ひのかわかみ)八岐(やまた)大蛇(おろち)が安徳天皇と生まれ変わって、源平の乱を起こし、その結果龍宮に返し取ったのだと告げたという   

『変成譜』p234
 と、あるという。八岐大蛇(龍)の尾から発見された宝剣が龍宮へ帰ったのだとする〈中世日本紀〉的な話題。
 龍宮については、以下のような話もあるようだ。

悪魔・外道が跳梁する世、阿耨達(あのくだつ)龍王が聖教類を手にしたまま海中深く潜ってしまったために、仏法はついに「滅尽」したという。

『摩訶摩耶経』『変成譜』p236
 龍宮に経典が運ばれることによって、仏法の滅亡が語られる。
 龍宮と経典と言うことから、

こうして『保元物語』の一本は、血染めの大乗経は崇徳院の手によって海中に沈められたと伝えるが、事実は、院の遺児・元性法印の元にひそかに蔵されていた。

『変成譜』p237
 怨霊として名高い崇徳院の経典が海中(龍宮)に運ばれたとする物語。
 上のような、思想的背景が影響を及ぼしているのだろう。

木犀の

木犀の 匂い満つ 風すずし

2007年10月05日

俳句

木犀の まだ匂わない 神無月

2007年10月03日

戦争論

水戸:戻ってきていただけると思ってました。
:いや、ご無沙汰してスミマセン。でも「戻ってくる」は、今、いい加減に言ったでしょ。
水戸:はい。
:でも、そう言う関係も必要ですよね。
水戸:あははは、では、本題にもどって戦争について一言?

:やっぱ、対立軸なりカウンタがいないと戦えませんよね。
水戸:と、言いますと…
:つまり、戦う相手がいないと戦争は成立しない。逆に、戦っている相手同士は表と裏。レベルというと失礼に当たるのかもしれないけど、そう言うモノが似かよっていないと戦えない。
水戸:うーん。戦ってしまうと相手と同じレベル。
:うん。戦えなかったのは、カウンタに大切なモノがあるのではなくて、戦ってしまって、そのレベルと定義づけられることが、嫌だった。いや、恐かったのかな?
水戸:今、考え直すと、でしょ?
:もちろん! その直前に、転輪ていう、テーゼ、アンチテーゼから何かを生み出すのではなくて、それをひっくるめておおいかぶすような考え方を考えていて、それがすごく役に立ったと思うのも、今になってなのかな? 当時はおおいかぶせ合いみたいに思ってたけどどっちなのかな・・・
水戸:まぁ、その辺は歴史に任せましょ。ところで、このことが時代を大きく画するきっかけの一つになっているという事なのですが、それについて一言ありますか?
:それも、歴史が流れていって結果的にそうなる話で、今、それを決めつけてしまうのは早急にすぎるのかな。でも、現時点で未来を見つめようとすると2006年位を一つ足場のようにして見ていくことが大切になってくるのかもしれない。あるいは、個人的な話なのかもしれませんが。
水戸:そこまで言って、大丈夫?
:知らない。ははははは、、、
水戸:笑えないって。

普通の苦労ぢゃつまらない?

 いや、なんだか人の去年の記憶を探ってゆくうちに、自分の去年の今頃の記憶が無いのに気付く。
 いや、去年の今頃、僕は存在していなかった。ただ、それだけの話なんだけど。。。
 一体あれは何だったの? 病気? 薬物? 洗脳? 催眠術?
 ああ、去年の今頃、洗脳なんか調べてたっけ、、、
(文体おかしいな、、、)
 今思えば、すげぇ無駄なんだけど、去年の今頃ってガンバってたよね。私。

 と、そこで数年前の今頃の記憶。

2007年10月02日

クリスタル東京

「もしもし。なんか久しぶりだったんで架けちゃった」
「ああ、久しぶりだね」
「元気?」
「ああ」
「ふーん。よかった。あのさ、今日、晩頃、ヒマ?」
「……」
「よかったら、夕食、一緒に行かない?」
「だったら、空けるよ」
「よかった。実はもうバーラウンジ予約しちゃったんだ」
「そうなんだ」
「うん、東京タワーがキレイに見える、あの店」
「ああ」
「じゃあ、7時でいい?」
「ああ」
「んで……(こんなの蛇足だよな・・・)」
「なに?」
「うん、何でもないんだけど、別に話したいこと無いって言うか、話題無いかもしれないけど、今晩、隣にいたいんだ」
「わけわかんねぇ〜!」
「てへっ。ってか、それでもいい?」

不可逆

 今でも私の手に彼の指の温もりが残っている。
 もう、1年にもなるのに・・・
 あの時のことは彼の最後の優しさだったんだと今は思う。
 たぶん、「責任」みたいなモノをとる覚悟もあったのだろう。
 今から思えば、、、
 また、あの時と同じ季節になっているのに、私と彼は別れ、いや、いろいろな人が出会いや別れを経験したはず。
 あの時と同じ季節なのに、季節が逆回りをしないように、今年の秋は今回一度きりなんだと、改めて思うの。
「健やかなるときも病めるときも……」
 そんなフレーズを幾度思い描いたのだろう?
 でも、私は彼の「病めるとき」そばにいてあげられたのだろうか? きちんと支えられていたのだろうか?
「支える」というのもおこがましいのかもしれない。
 防風林のような、、、そんなに強くはなれないのだろうけど。