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2009年11月30日

下半身

 昨日のはどうかしてるね。たまには、ちょっとした居酒屋トークもいいでしょ。ボクシングみて興奮してたのかな? 昨日は燃えた?

『豊橋の仏典』(豊橋市美術博物館)
『石田徹也展と静岡県ゆかりの画家』(浜松市美術館)
「男だって、下半身でモノ考えたっていいんだ!」って、どっから、どう廻って、そう考えるに至ったんだろう?
 でも、上半身より饒舌で、しかも、賢いときた。こまったもんだ。
『豊橋の仏典』は関連企画の高畑郁子氏の絵画。アレをみたときに、「他人」を「好き」という事の意味を考えてしまった。「媚び」だろうが「思いやり」だろうが、それは「他人」に対して何かを与えることで、その与えられたモノが差別化されているから、それはその人を「好き」にならずにはいられない、という現象がおきる。
 しかし、好意をもった行為に対して、代替物が現れたときに、厳然として、存在する「好き」という思いは、何に裏打ちされているのだろう?
 逆に言えば、「なぜ、その代替物を「好き」にならないのか?」短絡的に「肉」に魅力があるからといって、それは本当に正しいのだろうか?(普通、下半身なら「肉」の魅力だけで、そのほかの魅力は棄却されていく気もするが、、、)
 もう一つは、「病んでる絵」論でしょ。確かに、病んでるのかもしれない。しかし、その「病んだ部分」を喜劇に変えるチカラがあるからね、、、と、苦し紛れに論じてしまった!

2009年11月29日

考古

 なんか、パルメット紋のこと考えてて、そしたら、ニュースでドバイのパーム状の住宅地が映って「ああ、オレって現在という時代を生きてるんだな」と、意味のない感覚に襲われて、でも、ああ、パルメット紋というのも、遠くペルシアからやってくる『白瑠璃の碗』的な文物なんだな、と、改めて思う。
 あれ? まてよ、継体天皇の出自が由緒正しいのではなくて、フィクサーの方の出自が、(差別的だが、、、)引け目があるのかもしれない。つまり、彼には胡国の血が流れていたのかもしれないと。。。
 そこで注目される神話は、雄略と葛城の一言主との対話であろう。「葛城」という空間は、「尾張」を象徴しているようでならない。政権交代の「構造」が、あの神話の構造そのもののように思える。
 名前の交換は、両者の闘争を意味する。ヲウスがタケル(日本武尊)となり、クナがヤマト(邪馬台)となるように、大和がヒノモトとなる。イナザワは、なぜヘイワにならないのか? 理解できない。「対等」というのは、いにしえより、そういうモノだと思う。
 話がそれた。つまり、大和が日本になるのは、秘匿された「闘争」の痕跡に思えてならない。
 なんか、枕長くない? まあ「かまくらクライシス」の次のテーマだから、、、

『銅鐸』(橿原考古学研究所附属博物館)
『小栗鉄次郎-戦火から国宝を守った男-』(名古屋市博物館)
『おかざきの考古学』(岡崎美術博物館)
 もう「考古学」という、くくりはあまり好きではない。土の中から出てきたモノに対して考古学が正しく帰属できているのか? 疑問だからだ。
 僕の立ち位置から言ったら、文献学(国文学・文献史学)から言ったら「考古学」で、「考古学」から言ったら「文献学」的アプローチなんだろう。まあ、「地域思想史」なんだけど、、、

 そうそう、思い出した。事業仕分け。若手の研究者に予算が出ている云々。
 いいよ別に! 研究に集中したいから予算をもらうのは、でも、「なんたら研究員」って、肩書きがつくんだろ? だったら、「生活保護」と言われても甘んぢなければ、、、オレが無職だったら、ただの「ニート」だぜ? なにがお前と違うんだ? フラスコやロートが与えられるのが違いなら、お前らの方が下だよな! その金まで、実費なんだぜ!
 言い方は悪いが、国から金もらった時点で「国家のイヌ」なんだよ。その覚悟がお前にはあるのか? 国家に左右されない「市民」という立ち位置から物事を考えてみる。まあ、一度、その幸福を味わったら、抜け出せなくなる至福なんだけどさ。その幸せを知らない不幸モノ。なんか哀れで、切ないね。
「あっくん」に対して「ガンバレ」と言うのは「野に下れ!」と言うのと一緒。君には、その覚悟があるのかな?
 あっ!!! 展示の評価になってない!

2009年11月28日

写経の美

 一部情報で、おばさんの方が片付いたらしい。案外、バチバチっと決まってしまうのかもしれない。別に恋愛なんて「他人」というモノを理解する「学び」なんだから、相手はさほど問題ではない。だって、結局、誰だって自分ではない「他人」なのだから、、、自分もまんざらでもなくて、相手もその気なら、そいつに決めちゃえよ。
 こっちは、「構造」の方につきあってもらうから、、、ふふふ。。。

春日井市道風記念館
写経の美
『華厳経』の断簡(9)に「第六他化自在天」とあって、「かまくらクライシス」の第3部にとっては、生唾ゴックンなエロい内容で、見に行く。
 キャプション読んでも、『華厳経』の何品の断簡なのかが判らない。
 ダンカン! バカヤロー!!(似てない、、、)
「国分尼寺経(27-10)(断簡)」「紫紙金字華厳経断簡(27-9)」「七寺一切経(27-50)(断簡)」なんかが興味深かった。もっと、古筆の好きな人だと、いろいろ気になるんだろうけど、、、

春日井市道風記念館
特別展
写経の美
091113~1129

2009年11月27日

『かわら-瓦からみた大津史-』(大津市歴史博物館)
『日本瓦の基礎知識-古代編--中世・近世編-』(高浜やきものの里・かわら美術館)
 う~~~ん、例えば、「飛騨の匠」を使役する集団がいたとして、その集団が、大阪湾岸の同系列の氏族の氏寺を建てたとして、その後に、自身の氏寺を建てる。
「飛騨の匠」は、ふるさとに帰った後、それらの造寺で得られた知見を利用して、ふるさとに寺を建てる。
 もし、そんなことを傍証するような、遺品があるとすれば、、、それが瓦当の文様である。
 古代の瓦当の魅力って、なんかこんな感じ。「生産・流通・消費が比較的近い」と言い換えてもいいのかもしれない。
「生産・流通・消費が比較的近い」例として、最後になるのだろうか? 中世の皮切り、重源の東大寺大仏殿再建であろう。伊良湖を例にあげれば、重源は民衆に溶け込み、窯業の殖産をおこなったのではないだろうか?
 それ以降は「生産と消費の距離が広く」なったとでも言おうか? なんか、瓦当の流通が商売くさい。
 結局、古代瓦と中世・近世瓦は違う! デザインとファッションぐらい違う! といって、理解できるのか?

2009年11月26日

仏像鑑賞QS

 今年の漢字1文字は、、、もう、未練がましくなるから言わない。そうそう「鮎(なまず)」でないことは確か。1日の1/3くらいは、そのことについて考えてた。
 1年で言ったら、3月が一番つらかった。幸と不幸が乖離してたから。。。9月になって、肩の力が抜けた。1番の1人って、けっこう辛いんだぜ。(なんか歌の歌詞みたい)

 本題!
国宝 鑑真和上展(奈良国立博物館)
道教の美術(大阪市立美術館)
 今年の僕の仕事として『仏像鑑賞QS』は、欠かすことができないだろう。今回は、その裏話みたいな。
 鑑真展の音声ガイド聞いてて、「須弥山世界の荘厳」を思いつく。と、言っても、須弥山世界の説明は仏像概説書にはコラムとして取り上げられる内容で、それをメイン押しするのが「新しい」と考えてて、『仏像鑑賞QS』的な考え方をしたら、例えば地方の寺院で忿怒形の仏像1体が残ってたとしても、本尊を中心とした荘厳世界を想像できるんだと思う。
 道教の美術は『仏像鑑賞QS』の本編でもとりあげてるように、『仏像鑑賞QS』がどこまで拡張できるのか? というような問題な気がする。まあ、道教と言っても、仏教として取り入れられた部分がないわけではない訳だし、、、
 これ展覧会の評価になってる?

2009年11月25日

織豊・近世の肖像画

 今年のノミネートというか、ここしばらくは、拡張性(アプリ性)をキーワードに見てゆきたい。と、いいつつ、特展の我田引水みたいな。

妙心寺展(名古屋市博物館)
日蓮と法華の名宝(京都国立博物館)
 上は京博でも同名の展覧会が行われているが巡回展ではない模様、しまった、図録、見忘れたので、名市博限定で、、、
 肖像画というジャンルに最初に興味を抱いたのは『室町の肖像』(奈良県立美術館)を見てからだろう、その後に、『利家とまつ展』『徳川将軍家展』や(三河武士のやかた家康館)の展示、などをみて、「夢で見たおじいちゃんを描く」というような肖像画もあるが、仏像QSができそうな群像もあり、婦人像でも礼拝に用いられた可能性のある肖像もあるのかもと思いだす。
 そんな、ぼんやりとした概観も『天下人を祀(まつ)る』(安土城考古博物館)を見たことで「豊国大明神像」のような肖像画を到達点とするような「英傑神像」とでも言うのだろうか? 肖像画から逸脱したようなモノになる道筋として、もう一度、とらえ直す必要を感じた。(ここまで、去年以前の話だな)
 そこで、中世の宗教的な肖像画を、軽く考えてみる。

 まず、禅宗や日蓮系の高僧像が挙げられるだろう、もう1つは、真宗の絵系図が挙げられよう。絵系図は肖像画というより、血脈の可視化でニュアンスが少し異なるのかもしれない。
 ここから、2つの展覧会をみて、、、という話である。日蓮系の俗体の肖像画に段付きのモノが多いことに気づく。(時代差や選択の問題もあるが、、、)
 岐阜市歴史博物館の絵はがきで、武将の肖像画の上に題目をいれるモノがあって、あるいは、日蓮系の高僧像の流れから、礼拝用の俗体の肖像がうまれる気もしてきた。
 それは、肖像画の上の題目を礼拝することから、肖像画に対する礼拝が始まり、礼拝用の肖像画にふさわしい荘厳のツールを得ていくような過程をたどるのかもしれない。
 まあ、もう少し精査していかねば、ならないが、、、
 あっ! でも、英傑で日蓮系に造詣が深いと言えば、あの人だな、、、
(我田引水だな、、、)

2009年11月24日

今年の特展2009

 エキシビション オブ ザ イヤー 2009。
 今年の特展2009。

 今年も、この季節が、やって来ました。
 さて、どんな展覧会が、どう評価されるのか?

2009年11月23日

C国家を敵にまわせと?

次は、C国家とネズミが敵だと言われた。
なぜか、「チュー」つながり。

う〜〜〜ん。チュー!!!

放送協会WWW

2009年11月22日

時期差0で2都あり

 古墳時代の後期の初めに尾張は「日下(ひのもと)」って呼ばれてて、欽明天皇の時に「尾張」と言う名前を賜るように考えてて、、、(すげー、無茶苦茶な説だ。資料の操作ミスがあるんだろう)
 いや、ただ、地域名で美称なのは理解できても、わざわざ、自分で醜い名前を付けないでしょ、たぶん。
『日本書紀』なんかに、敗戦側に醜い名前の人物がいたり、「皇子大津」みたいに、名前をひっくり返したりあるでしょ。なんか、そんな感じのことが。
 クサナギ剣なんかも「ヤマタノオロチのしっぽから出てきた」という神話付きで下賜されてたりして?(この論、進めていくと常識がガラガラする)

 邪馬台国問題は、神武東征をどう解釈するかにいきつくのかも?
 時期差0で2都あったとすれば「西から東」は、簡単に考えがいく気がする。
 でも、神武東征を皇室の極私的な縁起と考えれば、考古学的裏付けが得られにくい可能性は、あるわけで、、、
 でも、遠賀川の伝播を「神武東征」と考えるのも、国粋的にならなければ可能な訳だし、、、
(なんて言葉遣いなんだ!)

春日井市民会館
春日井シンポジウム
東海を足元から探る2 地域の歴史とまつり
091121(土) 午後1時~4時30分 1126
091122(日) 午前10時~午後4時50分 0856
★参加者の募集は8月上旬からを予定

2009年11月19日

「いったい俺は誰なんだ!!!」

 例えば、毎晩見ていたニュース番組のキャスターが降板したとしよう。
 彼は、毎晩、彼目線で世相を論評していた。その論評がもう見れない。それはある意味で「死」である。
 媒体としての死と呼ぼう。
 僕が、その番組を見なくなる。これも、この後に番組を見るかもしれないという可能性が付くが、ある意味の断絶である。
 個人的には、媒体の死、こそ「死」なのではないかと思う。
 相互に意見を分かち合える状態の喪失。その状態が決定的であるときに「死」は発生する。

 逆に、媒体としての死が訪れているのに、生身の死がほど遠い状態もあり得るだろう。
 例えば、誰かが自分の名を語らって、死んでしまうような状態。(ほとんどあり得ない状態だが、、、)
 媒体としての自分の死は大衆にとってゆるぎがない。いったい、いったい、いったい、、、
「いったい俺は誰なんだ!!!」
 なんか自然に出る言葉なような気がして、、、

 レヴィ=ストロースの死。ほんの最近まで、彼は日本に対しても発言しており、構造主義者を家に招いたような話も聞く。媒体の死と、実際の死が極限まで近づいていたように感じる。その話が1点。

2009年11月18日

たまには上半身でモノを考えてみる

 どうも、そうは、いかないようだ。
「ピカソになれる可能性はないわけではない」
 とか、
「オレはピカソを超えた」(伝聞なので不確か)
 とか、ピカソに誤解がありそうなので、管見で少し書いてみる。

 ピカソは一種のトポロジーだから、数学の知識がないとよく分からない。よく分からないというか、数学の知識があった方が楽しめる。だから、絵画に数学的な思考を取り入れたというところで「新しい」のであって、その時代の潮流がピカソを支持したことが、現在の「絵画といえはピカソ」的なステレオタイプにつながっている。
 それを横目で見ていた2人の人物を登場させよう。

 まず、藤田嗣治。藤田はピカソの絵を見た後、バイオリンを買いに行き、ノコギリで分解し、その静物画を描いた。その絵は、あたかもピカソの、それに似ている。
 しかし、藤田の画業はピカソを超えた云々ではないだろう。
 あの乳白色。それは、あたかも、そのずっと先に生産されるジャパニメーション。マンガを思わせる。つまり、藤田の画業は、それのピカソとの乖離に真価があると言っていいだろう。
 もう1人は、ル・コルビュジエ、彼もピカソに影響を受けたであろう絵を描く。(以前指摘した気もする)
 やはり彼の主要な業績を挙げようとすれば、それは絵画ではなく、建築となろう。しかし、彼の絵画がピカソの、それを離れ、彼の建築家としての部分と大きくリンクしていたであろう事は、その絵画をつぶさに見てゆけば判ることだと思う。
 まあ、ピカソをトポロジー(キュビズムと言われるのだが)の画家と考えて、それを超えているということは、ある意味、トポロジーの破れで、はたして「トポロジーの破れた絵画」に存在理由があるのだろうか?
 こっからは、僕の問題。はたして「トポロジーの破れた絵画」に存在理由はあるのだろうか?
 たとえて言えば、「オン字教」あれは、あえて破ってあるね。そういえば、、、
 ここから構造主義、云々にいくんだけど、構造主義、云々は、また、後日。

2009年11月17日

この1人攻撃をなんとかしなければ

目は覚めた? それとも昨日の和合で、まだ、眠い?
どう? 気持ちよかった?
あっちに行くときは、あいつ連れてけよ。
お前が、どーの、こーのぢゃなくて、オレが安心だから。

てか、もう見てないんだろうから、こんな話、蛇足だよね。
ごめん。いそがしいのに、、、

2009年11月16日

「いわゆる立川流」的な

学生時代。
研究室にチベットの双身の仏画飾ってて、異性の先輩がたまたま、居たんで、
「○○さん、この仏画の意味って判ります?」
「えっ! 仏画に意味なんてあるの?」
「ああ、特にこの仏画には意味があるんですよ」
「へーぇ、そうなんや。で、どんな意味なん?」
「ぐふふふ、いや、てか、言葉では説明しずらいんですよ。陰陽の不二というか、日月の一如というか、どうです、今晩。じっくり、教えてあげましょうか?」
「えーー! なんで今晩なん? 今、知りたい」
「えーー! そんなに知りたいんですか?」
「うん。知りたい」
わーー! これはいける。と、思った瞬間に、
「あの、○○さん、あんた、騙されてますよ」
同級生(一浪? なので年上)の声。
「明らかに、男女の交わりの絵でしょ。カマトトぶるのもタイガイにしといて下さいよ」
まさに、言いたい放題である。先輩は、まじまじと、その仏画を見て、
「ほんとだ! 女の人が男に噛みつこうとしてる」

いや、実話ではなくて、ただのネタだから。今晩、試してみたら。

ちなみに、研究室にもう一枚、広目天(by東大寺戒壇院)と、自宅の本棚にクーヤンを飾ってたという設定。あれみたいだな。
同級生は奈々見沙織を忘れてるって言いそう。

おいなりに捧げる詞

おいなりさんってすると、なんか別物だから、、、

小学低学年の頃。放課後、遊びにいこうってさそわれた。
「ああ、塾があるからダメ」
と、オレは嘘をついた。
誰かが塾にいってるヤツに聞いて、オレの嘘がバレた。
「なんで嘘つくんだよ?」
1人が聞いてきた。
「えっ!? だって、単にダメって言ったら「どうして」って聞くぢゃん」
「そんなことないよ、で、今日遊べる?」
「ん? ダメ」
「なんで?」
オレの言ったこと分かってたんだろうか?
それ以来、友達ってほとんどいない。いないから、1人でも淋しくない。だから、おいなりの言うこと、解んない。(「解んない」って言うと、おいなり、悲しい顔するんだろうな)
オレとそんなに変わんないのに、、、

あ、でも、家で1人で『高校講座』とか『アイドル伝説』見るのが好きだったのは違うか。

2009年11月15日

3題

高浜市やきものの里 かわら美術館
日本瓦の基礎知識-中世・近世編-
 まだ、中世・近世の瓦について、僕の中で反芻できてないのか、なんか、パッコーン! とならない。
 蓮華文の蓮子がのびて巴文になるようなイメーヂでもないし、伊良湖東大寺瓦窯の瓦があるわけでもないし、、、
 道具瓦のバリエーション、桟瓦(さんがわら)の発明とか。中世の瓦当のバリエーションの豊かさ。織豊期の瓦。達磨窯。こんな感じ。
 3階の音声ガイドを使う。う~~~ん。120%。細かい年代なんかよりも、もっと、瓦当に対しての細やかな説明が欲しいような、、、でも「難しい」って声が出ちゃうんだろうな、たぶん。

松坂屋美術館
チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展
 ここも音声ガイド、120%。しかし、あれだけ説明されないとモンゴルのことは判らないんだし、なんかいい方法はないものか?(つうか、なんかいいところを探してほめようよ)
 チベット仏教がモンゴルにも入ってきてて、黄色い衣装なんかが高貴な色とされる。『異形の王権』といわれる後醍醐の肖像も黄色い衣装をまとい、バジュラ(金剛杵)を手にする。後醍醐のそば近くに文観がいて、、、って、展示の内容からずれてしまいました。

古川美術館
特別展 祈りのこころ 東西普遍
特別公開「ブシコー派の画家の時祷書(じとうしょ)」4年ぶり公開
同時公開 服部早苗 日本の美 キルトの華
*時祷書の「祷」は旧字
 個人蔵になってて「よもや新発見では?」と思って出かけてみました。実際は、って、、、言っちゃいけないか?(何言ってるのか解らない人と「お前はバカか!」と言ってる人といそう)、、、新発見ではなかった、は、固有名詞言ってないから大丈夫か?

高浜市やきものの里 かわら美術館
企画展
日本瓦の基礎知識-中世・近世編-
091107~1220

松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
中国・内モンゴル自治区博物館所蔵
チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展
091031~1206

古川美術館
特別展 祈りのこころ 東西普遍
特別公開「ブシコー派の画家の時祷書(じとうしょ)」4年ぶり公開
同時公開 服部早苗 日本の美 キルトの華
091031~1220
*時祷書の「祷」は旧字

2009年11月14日

護法少女ソワカちゃん

 銀皿の上に髑髏を置いて、上から蜂蜜をかけようと思ったら、もう、なんか着想が古いらしい。
 ひらめいた瞬間は、こんなの見たことないハズ! と、思ったのにいやはや。
 以前、「ソワカはアビラウンケンの次くらいに有名」と書いたが、どうも「ソワカが一番有名」が正しいらしい。
『護法少女ソワカちゃん』というのを発見してしまった。
 ある意味、節談説経なのではというと、ニュアンスが違うか?
 放浪芸でないにしても、見世物的と考えるのは、デジタルに侵されすぎてるだろうか?
 もうなんか、何が「共通の教養」なのか判らなくなるな、、、

2009年11月11日

あっくんの保証はF社で

なんでオレにエサばっか与えるんだ? 『電波男』撮りたくなっちゃったよ。
あっくんの保証、別にa社でもいいけど、そんなに企業体力なさそうだし、あっくんにナンクセつけて辞退させそうだし。
あっくんが「めざまし」って、言ってるし、管見、「めざまし」には、薬害的な罪がある気がする。
だから、「調査隊」の時にキャスト、そのままでもいいから、ネーミングだけ「おはよう」とかに変えてたら「ないものに保証って、いってもね」となりそうだけど、それをしないってことは、保証を考えてるんだよね。
まあ、あっくんはオレのスピンオフだから、、、
F社さま、よろしくお願いします。

2009年11月03日

団地のタナトス

断末魔の美

 稲沢団地(長束)の断末魔。
 朽ちはてる寸前まで、美しい建物群。
 文化財的な緊急調査はおこなわれたのだろうか?
 これを見れただけでも、収穫は大きい。

中高記念館
郷土の文化財展

「創建国分寺が廃絶した。」
 もう何が言いたいのか理解できない。
「廃絶」は「すたれ絶える」の意味のハズだから、そこにどんな言葉を修飾しても、ゆるぎないんだと思う。
 言いたいのは、尾張願興寺に尾張国分寺が永続的に移転したとするなら、金山周辺に「「こくぶ」のような地名」などの国分寺の存在を示す痕跡が大きく残ってもいいはずではないだろうか?
 稲沢・矢合に国分禅寺が存在するのではなく、金山周辺の寺院に、その許可が下りるはずなのでは? という疑問。
 史書の記事からの推定は、すこし行き過ぎなところがあったとしてもおこなわれてしかるべきだろう。しかし、地域的な状況証拠のようなモノと相反をきたしていて、その相反に明確な反論がないのは、「その推定」が不完全なモノと言わざるをえないような心持ちになる。

中高記念館
郷土の文化財展
平成19・20年度発掘調査出土品などの展示
091031~1103 午前9時~午後4時

2009年11月01日

オナニーする女性はカワイい

本朝オナニー関連の資料、生産者・享受者とも男性として考えなさいというフェミニストからの強烈な指摘があり、その線で考察。
少なくとも、古代の本朝の男性は、オナニーをしていたということは言えるだろう。男性という性に対してどの程度オナニーが必要かは別として、、、(オスのオナニーなら猿でもできるのでは?)
そして、男性が「女性のオナニー」に対して、なんらかの憧憬を描いていたのではないだろうか?
つまり、オナニーする女性はカワイいのである。
でも、資料の読みがあまいという批判もあるか。
しかし、網野善彦が「旅行する女性の性は解放されていたのでは?」という立論。逆に日本では性に対して比較的、女性に主導権があったのではと考えさせられる。
つまり、、、なんだ、、、その、、、